一九八八年にカナダに移り住んで、かれこれ二十四年が過ぎようとしている。
その二十四年の間に、日本にいたら先ず味わうことのなかった筈のストレスがあった。
数えあげたら切りがない程で、それは何かと云えば、カナダ人、特に日系以外の人と交した約束が守られなかったことが多かったこと。

日本で生まれて、日本で育った大方の日本人は人と交した約束に対して責任を感じ、なんとか、その約束を守ろうと努力する。
約束を守るのは人の原点だから…と教育されてきたから約束の重みを感じている。

どんな約束を反古にされるのかと問われれば、例えば商店に求める品物がなくて再入荷の予定日を聴いて、その日に行って見れば、まずその品物があったためしがない。
ゴメンの一言で終りである。

大工さんに家の修理を頼む。修理個所をシッカリ見て貰い、いつから仕事をしてもらうのか約束をする。
当日は、早目にその修理個所の廻りを片づけて仕事がやり易いように気配りをして待つものの一向に大工は現れない。電話もない。
二、三日経って忘れた頃にようやく電話があって、都合が悪くなって、一週間送れるなどと平気でのたまう。
年中ボートのエンジンが反乱を起こして動かなくなる。もう、とっくに廃品のようなエンジンだから無理もない。
しかし何とか修理して、だましだまし使おうと思うからメカニックに修理を頼む。
高令のメカニックだから、即刻修理は期待してはいない。しかし、今やっている仕事が間もなく終るので、そうしたらすぐ来てくれる…と云うので安心して待った。

一週間が過ぎ十日経ったが音信がない。更に日が過ぎて一ヶ月が経った。
そろそろイライラして血圧も上ってきそうになるもののせっかく、高令のメカニックに配慮してここまで我慢したんだからと思って辛棒する。

約束の重みを感じているからもう意地でも電話はしまいと決めた。男の約束である。
三ヶ月が過ぎて夏が終った頃、彼はようやく重い腰を上げて現れた。
こんな時は唯ひたすら耐え難きを耐え、忍びがたきを忍ぶ。途中でクーッ!!と爆発しそうになるけれど、それを過ぎると人間が次第に丸くなってくるのがわかる。一種のあきらめの境地である。

そんな訳でカナダに来てから、嫌も応もなく次第に自分がダルマのように丸くなってゆくのを感じる。情ない。

以前バンクーバーの大手スーパーでフレッシュと書かれている玉子を買った。
私は子供の頃から、暖かいご飯に醤油で味をつけた生卵をかけて食べるのが好きだった。夕方買ったその新鮮な卵を朝食の熱いご飯にかけて食べようと思って小鉢に打ちつけて割った。
もう二度と思い出したくない光景ではあるが、行きがかり上、云わざるを得ない。
割った卵の中から小鉢の中に、うぶ毛が生えかかった鶏のヒナが転がり出て来たのである。勿論、成仏していて、濡れたうぶ毛が不憫だった。

ヒナも不憫だったが、私も不憫だった。ショックで朝食を食べようと云う食欲が消え失せて、再び寝床にもぐり込んで布団をかむって寝てしまった。
以来、熱いご飯に生卵をかけて食べる楽しみは遠い思い出になってしまった。
生卵に孵化したヒナなど入っている筈がない…と云う云わば約束ごとが破られた結果の悲劇である。

さて現代は物の流通が発達して売られている商品もよくよく確かめないと、どこの国で製造されたものか良くわからない。中には優秀な品もある。

引っぱると切れる輪ゴム、三回履くとカカトに穴があく靴下などはまだいゝ方だ。
別に反っくり返って歩いている訳ではないのにと思いながら穴のあいた靴下を捨てる。
どこの国で作った日本蕎麦か知らないけれど、茹でている内に五センチ位に短かく切れてしまうソバがある。どうやって食べたらイイのか思案に暮れる。
でも、まだそんなのは可愛い方だ。世界の大勢にさしたる影響はない。

私が本当に困っているものがある。何を隠そう!それはズボンなのだ。私が色が好きで買い続けているズボンはゆったりしていて歩き易いのであるが股上が極めて長い。

おまけに、社会の窓の位置が高くて排水管が、仲々窓まで届かず一苦労する。排水管はゴムではない。引っぱったって自ずと限度がある。
男は臍から放水する訳ではないだろう!!このズボンのデザイナーに猛省を促したい。


2012年9月20日号(#38)にて掲載

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