昔は綽名、今はニックネームなどと云う。
本名とは別のいわば愛称だけれど、これがピッタリ決まると本人はともかく、まわりの人間にはこたえられない。

中学生の頃、社会科の担任だった中村先生がおられた。社会に貢献する人間になれ…と云うのが持論で、頭は白髪まじりの丸刈り。真面目を絵に描いたような先生だった。

当時たしか四十才位だったと記憶している中村先生は授業が終わると、ガラガラッと教室の引き戸をあけ廊下に出られる。そしてクルッと廻れ右をし、引き戸を締めて九十度からだの向きを変えて職員室に向かっておもむろに歩き出す。胸を張り、アゴを引いた姿勢は微動だにしない。

廊下の曲り角まで歩くと、そこで一度あゆみを止め、次に再び機械仕掛けの人形のように九十度からだの向きを変え、再び前に進む。
まるで軍隊の教練を見るようで、子供たちは先生のあとについて、クスクス笑いながら一緒に廊下を歩いたりした。

中村先生には「直角」という綽名がついた。どう見ても動きが鋭角的で、この愛称は的を得ていた。

七十年代の中頃、東京築地の雑居ビルの一室で、立体デザインの仕事に明け暮れていた。仕事が終って街に出るともう九時を過ぎていることが多く、疲れを癒す目的で居酒屋にころがり込むことがたびたびだった。
銀座、築地かいわいにはデザイン・スタジオが多かった。いつの頃からかデザイナー、イラストレーター、そしてコピーライターが集まって月に一度、勝手なことをほざきながら酒を飲むようになった。

広告代理店に勤務するデザイナー、スタジオを持って何人かのスタッフをかかえる人、そして一匹狼のようなコピーライター、イラストレーションに命をかける人…とまちまちだった。
全員に共通するのは、時間にルーズだけれど夜になると目が冴えて口数が多くなる点だった。

広告主のゴリ押しで、自分の良しとするデザインや、コピーが仲々認められないくやしさや不満をお互いに、しゃべり合って鬱憤をはらしては酒を飲んだりした。
ある時の飲み会で、誰かがニックネームを決めようと云いだした。既に綽名がある人はそのまゝ。ニックネームの無い六人が槍玉にあがった。

なにしろ普段、面白い言葉や楽しいイラストを描いている連中だから、信じられないようなニックネームが本人の意志に関係なく採用されてしまう。
キンカクと云うニックネームをつけられて、くさり切っているデザイナーがいた。オデコが大きくて、和式トイレのキンカクシに似ていたから。

最後に、仕事の手が離れず飲み会に遅れているイラストレーターK氏のニックネームをつけてしまおうと云うことになった。鼻下にヒゲを蓄えたK氏は軽妙でユーモアのあるイラストが認められて、大忙しの当時四十才のイラストレーターで今夜も来るのが遅れている。

そこにいない人のニックネームを考えるのは実に楽しくて皆、勝手なことを云う。
コピーライターのM氏がまとめた。
「あのねェ、Kちゃんは誰が見てもひょうきんだろ!だけど俺は何つったって、あの顔に無類の特徴があると思う。
イイカ!皆よくKちゃんの顔を思い出してみな。もう顔が既に『冗談』だと思わないか?」「冗」と云う字に似てるだろう。
なる程、そう云えば…と云うことになって衆議一決!K氏のニックネームは英文字でJORDANと決まった。
遅れたK氏が現れたのは十時を過ぎていた。みんな下を向いて笑いをかみ殺している。
ビールを一口飲んだK氏が妙な雰囲気に気がついた。
「ナニ笑ってんだヨ?別に何もおかしいことネエじゃねえか…何がおかしいんだヨ…」
「…………」
「ナニ笑うんだよ!何を?冗談?誰も冗談なんか云ってネエじゃネエカ!」
「…………」
「顔が冗談?何で冗談なんだヨ!?なにお…俺の顔が冗談だと!!」
「…………」

遅く来たから事情がよくわからないまゝ、その日は皆のニックネームを決める飲み会になってしまったことを知ったK氏はブツブツ云いながらトイレに立つ。段々K氏の気嫌が悪くなってくる。
なにしろ、来た早々自分の顔が「冗談」と云われたのだ。

トイレからK氏が戻ってきた。どうやら鏡の中の己の顔と睨めっこをしてきたらしい。どうだった?誰かが云った。
「まあな、云われてみればそんな気がしないでもないな。ちょっとした印刷のズレだな。ショウガネエ。但し英文字だぜ。」


2012年8月30日号(#35)にて掲載

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