中国から伝わった漢字は元々、たとえ一文字といえども意味を持った文字だから、ひと目見ただけで物の形や感情が伝わってきて有難い。
しかし日本の漢字のふる里である中国の漢字は特に文化大革命のあと、妙に合理化されてシンプルになり、本来その文字が持っていた意味がうすれてしまって、アリャ何だこれは…と思うほど本来のニュアンスが伝わってこない。

表意文字である漢字のすばらしさは、あらためて云うまでもない。
一つの漢字を分解してみると部品ひとつひとつにも立派な意味があって、それらの部品がうまく組み合わされて大きな意味を語りかけてくる。
一方、アルファベットの場合などは複数の文字を継ぎ合わせて、ようやく一つの意味を伝えることになるから、少ない文字数でコミュニケーションできると云う点に於て漢字は群を抜いている。

ロゴタイプは、特別デザインされ、差別化された文字で商品や企業をアピールする上で、なくてはならないものである。そのデザイン如何によっては企業の命運を左右する。

例えば日本の大手運輸会社の商品に「宅急便」がある。このロゴタイプの中の「急」と云う文字の下半分を占める心と云う字を見れば、人が走っている足を表していて、見事に急いで荷物を運ぶ宅急便の意味が伝わってくる。

このロゴタイプをデザインしたデザイナーに一種の遊び心があったればこその楽しいデザインである。
宅急便は車で届けるものだから…とタイヤなどをデザインのモチーフにしていたら、このロゴタイプは誕生しなかった筈である。

漢字に関してむづかしい事はわからないけれど、私は文字には人の顔、あるいは姿を見るような表情があるような気がしていた。
長い間、繰り返して見ている為に愛着心が生まれて、そう思うのかも知れない。

「舌」と云う字を見ると、今にも口の中から長い舌がベロッと出てきそうだ。
「化」と云う字には、細い目が吊り上った妖怪を感じる。
「凶」と云う字は、いかにも近寄りたくない危険なイメージがあるし、「何」と云う字を見ると、何も知らない幼ない子供が親に「それなーに…」と問いかけている表情がある。

「象」と云う字には、鼻をブラブラさせている象そのものを感じてしまう。
「掻」と云う字などジッと見ていると、ジンマシンで全身がかゆくなって身をよじっている人が目に浮かぶ。

「夢」と云う字は寝ぼろけまなこで、たった今見た夢を想い出している風情を感じてしまう。又「幽」と云う字は元々、かくれるとかひそむと云う意味らしいが、私が受けるイメージもやっぱり幽霊そのものである。

漢字は立派な表意文字であり、歴史と奥行きを感じざるを得ない。
しかし一方で私のような、漢字の門外漢が、横目で漢字を眺めていると、その文字にしかない独特な表情や姿が見えて来て楽しい。

いつも見るたびに愕然とする漢字が一つある。
「鬱」と云う字がある。うつと読むのだが、辞書を見ると、しげるさま、もしくは心が晴れないで、気がふさぐ…と云う意味らしい。
実際この字を見ていると次第に暗い部屋に閉じこめられて心が重くなってくるような絶望感を覚える。

よくみると樹も繁っているようだし、その下の屋根の中に何やら杉の葉も見える。
小さくてよく見えないけれどなんだか歯のような字が隠れていて何となく無気味な雰囲気なのだ。窓もなく、出口も無い部屋に無理やり押し込められてウツウツとしているイメージがある。

少し目を細くして、ジッとこの「鬱」と云う字を眺めていると次第に、顔をゆがめて苦虫をかみつぶした人の表情が浮かんでくる。
一体どんな人がこの字を作ったのだろうと感心する。これほど、見ていて元気がなくなってしまう字は珍らしい。

その昔、私が在籍した会社に岩山さん(仮名)と云う人がいた。男ばかりの八人兄弟とかで、彼は末っ子だった。
一人たりとも女のいない男だけの八人と云うのは凄いと思った。
彼の名前は末蔵だった。彼の父親が、何としても、この辺で製造作業をやめようと思った気持ちを感じてしまう名前である。

彼は七人の兄の重圧があったせいか、私の目には彼の表情が、いつも追いつめられて見え、眼鏡をかけてうつむいた顔が「末」と云う字に見えたこともあった。子供の名前は慎重に決めましょう。


2012年8月23日号(#34)にて掲載

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