世の中には「私は機械に弱くて…」と云う人がかなりいる。私も実はその一人。
冷蔵庫や洗濯機やTV・ラジオも機械であり、今や人間の必需品であって当り前のような顔をして毎日使っている。
特にTVなどは、もし無かったら…と考えても停電でもしないとその有難味の実感は湧いてこない。これらのものを造り出した先人の英知には唯々頭が下がるばかり。

しかし機械である以上は必ずいつかは故障をする。
機械には我々素人が修理できるものと出来ないものがある。「好きこそものの上手なれ」と云う格言がある。
ちっとやそっとの機械の故障など鼻唄を唄いながら直してしまう人、つまり機械が好きな人はいい。
その反対にネジを買いに行ったのに釘を買ってきてしまう人やコードを買いに行ってヒモを買ってきてしまう人もいる。これは明らかに物を修理することに向いていない人である。

不器用を自認する私が最も苦手な物それは動力で移動する命に関わる機械である。
芝刈り機などは、まだシンプルで時によっては足で蹴とばすとエンジンがかかったりするのでまだ始末のいい方だ。

最も身近にあって始末の悪い機械は車やボロボートのエンジン。もボートのエンジンは作られて三十年以上も経つ骨董品のようなものだから故障しない方がおかしい代物である。海の上で不貞くされて動かなくなり、途方にくれたことも四回や五回ではない。
機械音痴だから釣りにゆく時は「エンジン様どうか今日一日まちがっても変な気だけは起こさないで下さい…」と手を合わせる。神頼みである。

身近にあって最も不気味な機械それは車のエンジンであることは云うまでもない。
今はバスも電車もない海辺に住んでいるから移動は車に頼らざるを得ない。イマイマしいけれど仕方がない。
いつだったかブレーキがおかしくなって、だましだまし走らせて山裾にある小さな修理屋に車を持って行った。
修理に四、五時間かかると云う。代車のない修理屋さんで奥さんが私を自分の車にのせて家まで送ってくれた。
夕方、修理が終わったと云う電話があって奥さんが修理済みの車にのって届けてくれた。

しかし奥さんは家に帰れないので、今度は奥さんをその車にのせて私が送ってゆく。
何だか自動車ごっこみたいでガソリン屋にご奉公しているようだった。
本当に厄介なものである。

それでも必要にせまられてオイルをチェンジしたり冷却水を入れたりできるようになった。しかしながら機械ぎらいの人間はボンネットを開けた段階で愕然とする。
ましてエンジンが動いている時などは二、三歩あとずさりする。狭いところに組み込まれた部品の数々に圧倒されてしまうのである。

こうまで複雑にしないと車は動かないものなのだろうかもっと簡素化できないものなのだろうか?と思う。
改めて見ると象の鼻のような太いホースがある。なんだかパン焼き機のような図体の大きい得体の知れないものがあって真ん中でヒジを張っている。中で何か動いているものがあるらしく体をブルブルと中気のおじさんみたいに震わし、やたら大小の箱がある。

何やら唸りながら頼みもしないのにグルグル廻っているものがある。数えきれない程の黒や赤のコードがからまるようにつながれビスで止められ一本のコードから蛸の足みたいに枝分かれして、それぞれどこかに走っている。
それらがあんなに狭いところに押し合い、へし合い詰め込まれてスキ間と云うものがない。
本来はどの部品もその素材は地下に眠っていたのに人間に無理矢理ほじくり出され砕かれ、自分が望んでもいない形にされてしまったものだ。
別に好きでもない妙な格好した奴と強引に組み合わされネジで止められ身動きできない姿勢である。
釜にガソリンを入れ火をつけられれば嫌も応もなく働かなければならない。

狭くて暗くて暑い中での労働は苦業としか云いようがない。ボンネットを開けて動いているエンジンを見ると部品一つ一つのうめき声がきこえてくるようだ。
「ウーン…もう駄目だ。腕がしびれてきた!」
「何云ってんだ、シッカリしろ!俺なんか釜の熱で横っ腹が焦げそうだ!!」
「おめえなんか暑いぐらい何だ我慢しろ!俺なんざあ、ひっきりなしに廻ってるから見ろ、目玉が斜視になって血圧が上がって脳溢血寸前だ!!」
たしかに車は便利で助かる。しかしあの窮屈なボンネットの中で働く部品たちの怨念が積り積って、いつか反乱が起きそうな気がする。皆さんいつでも逃げられるように…。


 

2012年7月5日号(#27)にて掲載

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