小森君(仮名)は、デザイナーが大半だったわがデザイン・スタジオの唯一の営業担当の青年だった。
ウェスタンの世界に憧れていて背も高くジーンズをはいておりブーツなど履くと仲々様になる三十才。
時々、スエードのジャケットにテンガロハットなどをかむって出勤するからビックリして聴いてみると今日は仕事が終わってからウェスタン・クラブの集まりがあると云う。

集まってどんなことをするのかと思ったら、ギターでウェスタン・ミュージックを唄ったり、拳銃の早撃ちを競ったりするそうで彼のバッグの中には本物と見まがうような黒光りするモデル・ガンや首に巻く赤いスカーフが入っていたりする。

そう云えば、若くして世を去った歌手の城卓也氏も小森君のウェスタン・クラブの仲間で、今日は城さんなんかと馬に乗る日…とかで夕方勇んで出かけて行ったりもした。

趣味がウェスタン一本にしぼられているから、あまり余計なお金を使わない堅実なタイプで或る時きくともなしにきいたら、あちこちの銀行に預けているので自分のお金が一体いくらあるのかよく解らないと云う。

唯、彼の最もユニークなところは、若いのに異性に対する関心が極めてうすいところだ。どうも女の人は…等とムニャムニャ云ってるところを見ると、もしかしたら一生独身を通すタイプではないかと思った程である。

八十年代のはじめ頃の確か秋も深まった或る日。
その日は東京銀座のソニービルの一角にある三角形の屋外ディスプレイ・ゾーンに夜を徹して、あるメーカーの屋外展示が施こされる日だった。
西銀座四丁目の人通りがまばらになる夜十一時頃から現場作業がスタートする。

本来ならそのデザインに3ヶ月も前から携わった私が施工に立ち会わなければならないのに運悪く風邪をひいて熱があった。何しろ明け方まで寒い屋外に立ちっぱなしの仕事である。先づ風邪をこじらせるのは間違いない。

その仕事のデザインの進行にはじめから関わっていた小森君に相談したら「僕が行きます!」と云う心強い返事が返ってきた。
やれ助かったとばかり彼にその夜の現場立ち会いを頼んだのである。
彼は住まいが千葉県だから明け方ディスプレイが完成したら、当時港区の高輪に住んでいた私の家に泊ってもらうことになった。現場からタクシーで三十分の距離である。

寒い中を疲れて帰ってくる彼の為に彼の好物のカレーを作り、コタツの中に置いて、ご飯の入った電気釜を上に用意した。ウイスキーの瓶とグラスを置いて私は早い時間に寝てしまった。早く風邪を治さなくてはならない。
まだ夜明けには間がある四時過ぎカチャカチャと玄関のドアを開ける音がする。
予定通り現場が終ったのを察して私は安心した。
起きようと思ったけれど風邪が抜けずに、まだ体がだるい。カレーをシコタマ食べて早く疲れをとって欲しい。
起きてから、ゆっくり結果を聴こうと思って又眠った。

それから一時間も経った頃小森君が寝ている部屋から、たゞならぬ声がきこえた。
「アッやめて下さい!チョットやめて下さい!」たしかそうきこえた。何事かと思ったが、そのあと静かになった。

多分、疲れた彼が悪い夢でもみてうなされたのかも知れない。そう思って私は又寝てしまった。
遅い朝食の時、昨夜のディスプレイの現場の話を一通りきいたあとで「ところで夕べ大分うなされていたみたいだけど疲れはとれたかい?」と彼にきいたが、その応えは「えゝ大丈夫です…唯ちょっとビックリして…」

どうもハッキリしないので戸を開けて出たベランダでタバコを吸いながら、何をビックリしたのかもう一度小森君に聴いてみた。
そうしたら……。
「実は布団に入ってウトウトしかけた時、耳のあたりがモゾモゾするんです。頭の向きをかえても又髪の毛のようなものが口のあたりに…」

彼はテッキリ私のワイフが忍んできたと思ったらしい。
暗くてよく見えない中で女嫌いの彼は必死でそれを払いのけ布団を頭からかむり、そのまゝ疲れていたので眠り込んでしまった。

その妖しいモゾモゾは結局全身毛玉の様な飼い猫のチンチラと解った。闇の中に見なれぬ人が寝ているので顔の辺りを猫が入念に調査したらしい。皆わらいすぎて腹痛で転がった朝だった。
猫は日向で毛づくろいをしていた。

 

2012年3月15日号(#11)にて掲載

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