ペンダーハーバーに9年間住んだ。三段とびのように住居を移って落着いたところはフランシス・ペニンスラと云う出島のような土地で、満潮の時は本土との間に海水が満ちて一本の橋で結ばれる。ビーバー・アイランドとも呼ばれる周囲八キロの小島。

この橋を渡って、マデイラパークと称されるペンダーハーバー中心の広場に買い物にゆく。人によってはダウンタウンと呼ぶ人もいるが、一軒のスーパーマーケットを中心に十軒程の店があるだけなのでダウンタウンと呼ぶのは少々照れくさい。
あくまでも生活のためのベーシックな品物だけ手に入る商店だから、洋品のような多少の選択を要する物は車で三十分離れた隣町シーシェルトにゆくか、バンクーバーで求めることになる。

何はともあれ静かな土地でペンダーハーバー全体が森のような土地なので人混みと云う言葉は忘れてしまった程である。パーキング・メーターもない。
不便と云えば不便だけれど生まれて以来、こう云う人が少ない土地での生活は経験がないので初めは狼狽した程。
代々、この地に根づいた人が多く圧倒的に親戚の繋がりがあって、見えない糸のよう。
土地柄で海にかかわる仕事場が多い。あるマリーナでボートの修理をしたあと、家の近くの人に、あそこは値段が高い…とこぼせば「俺の娘はあそこで働いてるんだ」とくる。ゲッ!
親しくなったB&Bの親父と話せば「あんたの家の近くに息子がいて孫があんたの子供と友達」と云う。ゲゲッ!!

日系人は殆どゼロに等しい。マイノリティーなんてものではない。だからアジア系の顔立ちは一遍で憶えられてしまう。嫌でも日本を背負って生活するハメになる。

緑の森に埋まったように民家が点在する。我家の隣のウォルターとデリア。子供がいないので、アラスカン・マラミュートと云う種の犬を飼っている。ミッキーマウスのような顔をした大きい犬で、それも四匹。若い雄犬ストーミー。その母親クータック。そしてストーミーの叔父さん叔母さんも一緒の大家族。
育て方がうまいらしく北米の犬の品評会で度々優勝するのがウォルターの自慢。奥さんのデリアがこの犬達に接する時は、まるで自分の子供に語りかけるようだ。庭にオランダ型の小型の風車があっていつも廻っている。ルーツはオランダの人かも知れない。

ウォルターは細身の真面目なタイプの六十代。今迄この人が笑うのを見たことがない。一度機会を見つけて腋の下でもくすぐって見ようと思う。
みんなペンダーハーバーと云う土地を愛し、根をおろしているように見える。

マデイラパークにある学校の広場で催されるメイ・デイのイベントには沢山のテントの小店が出て素朴な手づくりの民芸品や蜂蜜が並ぶ。とりわけ村の幹線道路を行進するパレードの中のクラシック・カーは古き良き時代を想い起こさせてくれる。普段は納屋の中でヒッソリ眠っている車だ。

この新緑の五月の催しにはペンダーハーバーの殆どの人が森の中から馳せ参じるから、賑やかで華やかな一日となる。

ほんの数人しかいない日系人の一人ココさんは小高い山の上の方に住んでおられる。先日、裏山に続く繁みの中を歩く黒毛の狼を見た。急いでご主人ジョンさんを呼び、管轄の政府機関に電話で問い合わせたら「あなたはラッキーだ」と云われた。
狼はもう滅多にみられないものの、まだいるらしい。
我家の近くでも昨年クーガー出没の警戒連絡があった。狸や狐は勿論、熊などもさして民家と離れない所に現れる。ここは人間の生活と野性との、どうやら接点?!

昨年の春、慣れた鹿がとうとう我家に上がり込んだ。若い雄鹿でまだ、あどけなさが残る。母鹿はさすがに遠慮して玄関先で子供を待っている。
子鹿は人を恐れないから、ニンジンやリンゴを人の手から食べる。これが野性の動物かと首を傾げる程だ。
二階まで上がって、子供と遊んでいて仲々帰ろうとしない。

子供達は暇だから大歓迎で背中にまたがって遊びほうけている。鹿も別に嫌がる様子もない。この鹿にはグレッグと名がつけられた。その内夕暮れになった。子供達が何を云い出すかと思ったら、「今夜グレッグも一緒に晩ご飯を…」
冗談じゃない!とそれだけは勘弁してもらった。それからまもなく恐れていた事が起きた。少し腰をかがめたグレッグがジャー!!と大量のおしっこをした。雄なのに片足を挙げない。カーペットの後始末に泣かされた。
「本日はこれまで!!」と追い立てるように帰ってもらった。

 

2012年2月2日号(#5)にて掲載

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