年齢と共に朝、目が覚める時間が早くなって来た。カナダの夏は朝も四時頃から明るくなるので早く起きても何かしら仕事がある。
描きかけの絵の前に座って朝の光の中での仕事も思いのほかはかどるし、トマトやキュウリの育ち具合を見にゆくのも度々である。
しかし冬はそうはゆかない。寒いからパッと起きられずに寝床の中でグズグズしている時間が長い。そうだストーブに火をつけて部屋でも暖めようと気がつく。
でもそんな時に限って起きて見ると薪が無い。夕べ全部燃やしてしまったことに気がつく。
エエイ!薪でも割るか…と意を決して、まだ太いまゝの薪を積んでいる物置にゆく。朝の六時はまだ真っ暗で空には星もまたゝいている。ペンダー・ハーバーの小島は物音一つしない。
ワークショップの電気をつけると吐く息も白く風邪をひいている訳でもないのに鼻水をすゝりながら積んである薪の中から割り易そうな薪を十本ばかり引っぱり出す。
手が、かじかんでいるし、完全に乾燥していない、木を三つ割りにしたような薪は重く寝起きの体が、もうこんな重労働をさせるのか…と文句を云っている。


ペンダー・ハーバーには、五、六人の薪屋がいる。以前、車で少し山の中へ入った辺りへ松茸を探しに行った時、森の中からニコニコ笑いながら出て来たおじさんがいた。
手 袋をとって手を伸ばしたので握手をしながら、よくよく顔をのぞいたら二、三度薪を持ってきてもらった薪屋のおじさんだった。彼にとっては仕入れの現場だ。 大きな樹を切り倒している最中だったが、いつ熊やクーガーが出てくるかも知れない山の中で人と遭うのは嬉しいもので、つい話もはずむ。
話がはずむと云うと余程英語が達者なようにきこえるが実情はジス・イズ・ア・ぺンに毛が生えた程度だから知れている。
だから会話も極く短時間で終る。そうは続かない。
もう一人の薪屋は薪を運んでくる時、いつも大きな犬が一緒。馬鹿に図体の大きなシェパードだと思っていた。
しかし、それにしてはどうも目つきが尋常ではないし、なつかない。
よ く聞いてみたら、狼との混血だそうだ。絶対に人になつかないとのこと。犬好きの私がうっかり知らずに頭をなでようとしたら、鼻の上にシワを寄せ横目で私を 見て低い声で唸った。心なしか口の裂け方も深い。しかし飼い主である薪屋のオヤジには絶対服従だそうだ。ドウザーと云う名前で名前まで何となく威圧感があ る。


さて薪を割りはじめて二十分もすると、あれ程寒かった体が暖まってくる。
半分眠っていた体にエンジンがかかって暖機運転が終ったようだ。
寒い中の丸太の薪を割るスピードが上がる。腹も滅ってくる。
東の空を見ると薄明るくなってホンノリ、ピンクに色づいている。どうやら今日は晴天らしいと思えば気分も良くなる。


フト足許に転がっている割った薪を見ると木の割れ目からワラジ虫や黒いアズキ大の虫が這い出してくる。
多分、古木に巣喰っていた虫たちが安眠していたところを斧で割られた衝撃でビックリして出てきたものと思われる。
それはそうだろう。人間だって熟睡しているところを家ごと運ばれて、いきなり大きな鉄の固まりでブン殴られたら大抵パニックになる。
這い出してくる虫たちを見ると斧でスミカを割られた衝撃でボウッとして動けない奴もいる。おそらく強度の脳震とうでめまいがおさまらないのだ。
それでも大半の虫たちが一体何が起きたのかわからずに、何だ何だ…と云う顔つきで脱出するのに忙しい。
中には歩きだしたものの前途を悲観して丸くなって転がってしまうワラジ虫もいる。
暖炉にくべられて燃されてしまう事を考えれば、まだ生きる道が無いわけではない。


その頃になると空も一段と明るくなって近くの家からも薪割りの音が地面を這うようにきこえてくる。ドスン…ドスン…。多分夕べ割った薪を全部燃やしてしまった家だろう。
割った薪を集めて手押し車に山積みにする。この手押し車は昔、道路工事などで人夫が砂利などを運ぶのに使っているのを見た。名前を「ネコ」と云った記憶がある。
何でネコなんだろう…と思うものの調べようもない。
手押し車に山積みした薪は重くおまけに一輪だから動きはじめる時はヨロヨロして簡単には動けない。
自分の格好を改めてみるとパジャマの上にガウンを羽織ってしかも長靴だから荒野で土木作業をしているロシアの英雄クロパトキンのようだ。
とても街中を歩ける格好ではない。イイヤ見ているのは早起きのキツツキか狸ぐらいのものだ。
笑いたければ笑いやがれ…別に狸とツキ合うわけじゃないからかまうことはない。

 

2011年12月1日号(#49)にて掲載

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