馬の習性
馬は自分の周囲が常に安全かどうかに、全エネルギーを集中させて生き延びようとしている動物です。例えばもしあなたがアメリカのあまり治安が良くないと 聞いている見知らぬ街で、暗い通りを一人で歩かなければならない状況に陥ったと想像してみて下さい。あなたは五感の全てを全開、総動員して、周囲に気を 配っているはずです。

そんな時、建物の影で突然大きな物音がしようものなら、恐怖で思わず叫び声をあげて、瞬間的に飛びすさ るでしょう。そんな状況の時には何の物音かも確認等せず、とにかく飛びすさって逃げる体勢になるか、あるいは人によっては身構えてその物陰から出てきそう な対象と戦おうとするかも知れません。これが、文字どおりストレスについての有名な生理学理論「fight or flight-逃げるか、戦うか」という状況です。

馬はいつも、敵に襲われるこうした状況を想定して生きていると考えて下さい。何か聞き慣れない物音、 突然目の前にあらわれる物体、何かのにおい、突然身体に何かが触れた、それら全てが恐怖の対象なのです。そして、それが何なのか確認する前に、ただただ驚 いて飛びすさり、その場から逃げ去ろうとします。しかしこの時、馬の場合には「fight or flight-逃げるか、戦うか」という理論はあてはまらず、馬には「戦う」はほとんどなく、「逃げるか、逃げるか」なのです3)。馬は戦うことを好まな い平和主義者と言ってよいでしょう。

馬は4500万年(!!)もの長い歴史を、このようにして自分を襲うものから身を守って生き延びて来たのです。

Predator(食肉動物)とPrey(獲物)
地球の生態系は、生物間の食うか食われるかという食物連鎖の関係からなりたっています。例えば、陸上では草の葉をバッタが食べ、バッタをカマキリが食 べ、カマキリを小鳥が食べ、小鳥をタカが食べる…といった連鎖があります。海では、藻をエビが食べ、エビをタラが食べ、タラをアザラシが食べ、アザラシを 北極クマが食べる…という連鎖が見られます。このような食物連鎖の中で動物については、他の動物を襲い食う者はPredator(食肉動物)、食われる動 物はPrey(獲物)2)と称されています。Predator(食肉動物)の多くはPrey(獲物)よりも個体は(肉体的に)大きく、その代表は、トラ、 ライオン、狼、チータなど、その一方で、Prey(獲物)の代表はシマウマ、シカ、うさぎなどがあげられます。

そして、馬は大きな肉体をもってはいますが、このような食物連鎖の中で下位に属するPrey(獲物) 動物なのです。一方、かつて狩猟民族であった私たち人間は、残念ながら、他の動物を襲うPredator(食肉動物)なのです。さらに、人間のペットであ る犬、猫も実はPredator(食肉動物)です。このPredator(食肉動物)の行動パターンは、狙った目標(獲物)めがけて、一直線に向かうとい うパターンです。Predator(食肉動物)にとっては、確実に獲物を捕まえる事が唯一のサバイバルで、この獲物という食料を得ることに失敗し続けれ ば、その先に待っているのは死です。従って、私たち人間を含めて、Predator(食肉動物)は一つの目標に焦点を合わせ突進する目的志向のパターンに たけています。

Prey(獲物)、そして馬のサバイバル

一方、馬を代表として、Prey(獲物)動物はこのPredator(食肉動物)の追求からできるだけ速く遠くに逃れることが、サバイバルには不可避の能力なのです。

Predator(食肉動物)にとっては、Prey(獲物)動物を食べることができなければ死が待って いるのに対し、Prey(獲物)動物は食べられたら死という逆の食物連鎖の関係が、彼等のサバイバルの能力を進化させて来ているのです。ですから、彼等は 常に5感を総動員してPredator(食肉動物)の襲って来る気配はないかと周囲に気を配り、awareness (気づくこと)に全エネルギーを集中させています。これは、Predator(食肉動物)の一つの目標に焦点を合わせ突進する目的志向の行動パターンとは 全く逆で、焦点を定めず自分の周囲全体に絶えず気を配っている全体志向パターンといえます。

馬の視野
この結果で進化を遂げているのが、例えば馬の視角です。馬の目は、顔の両サイドについていて、わずか5°~15°のブラインドスポット(自分のお尻と下 肢のわずかの部分だけが見えない)がある程度で、その視野はわずかに首を回すだけで360°にも広がるといいます1)。

houses eyes
馬の目はこのように顔の両サイドについています。
馬のこの大きな黒い瞳に魅せられない人はいないでしょう。(Photograph by Mark J. Barrett 4)

これは、草をはみながらでも、絶えず自分の周囲を見渡し、全体に注意を向けることができる非常に有利な 肉体の構造機能です。これに対し、トラやライオンそして、犬、猫など(私たちも含め)Predator(食肉動物)の目は顔の正面に並んでついています。 これは、獲物を捕らえようとする際に、獲物との距離を見定めるためのものといわれ、まさに目的志向のための視角といえます。

馬から戦わない事を学ぶ
先にも述べたように、Predator(食肉動物)である私たちは、自然に、一つの目標に焦点を合わせ突進する目的志向のパターンをとってしまうことに 絶えず自覚しているべきでしょう。さらに、Predator (食肉動物)としての攻撃性を絶えず秘めていることにも自覚すべきでしょう。 Predator(食肉動物)として刷り込まれているかも知れない、私たち人間の中のDNAを絶えず自覚させ、相手を攻撃しないでやさしく受け入れるため にはどうしたら良いのかを、常に自省させてくれるのは、私にとってはこのPrey(獲物)動物としての馬とのつきあいでした。また、馬とのコミュニケー ションをはかるトレーニングを幾つか受ける過程でさらに多くのことを学んで来ました。私だけではなく、北米では、人々の心理療法に馬とのコミュニケーショ ンを活用している専門家が多くいます。

次回は、ではどんな馬との付き合いの中で、どんなエピソードから、私が心の平安を獲得していったのかを、お伝えしたいと思います。

参考文献:
1) Cherry Hill, How to think like horse, Storey Publishing, 2006
2) Chris Irwin, Horses don’t lie, Marlowe & Com pany New York, 1998
3) Monty Roberts, “The Man Who Listens to Horses-The Story of a Real-Life Horse Whis perer-”, Ballentine Books, New York, 1996
4) J. C. Suares, The Big Book of Horses,
Welcome Books, New York, 2006

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