2017年5月11日 第19号

イザ・ラポンスさんは、戦後、バンクーバーで両親と親しくしていたポーランド系の人々のことを覚えている。日本を通過して北米に来た12組24人の名前が挙がってきた。

 

バンクーバーに住んだユダヤ系ポーランド人。1950年前後。(イザ・ラポンス提供)写真のうち以下8人が杉原ビザ受給者:前列右と中央、イザ・ラポンスさんの養父の兄夫婦ヘンリック・フィツアウトと妻ポリーナ。(写真は、バンクーバー市内フィツアウト宅での撮影)左端、ワディック・リクテンバーム。左から5人目と右から4人目、ミエテック・リクテンバームと妻フェリシャ・ミンク・リクテンバーム/左から2人目、マルタ・ヘイマン(マルタの夫のステファン・ヘイマンがこの写真の撮影者と思われる)/右から2人目と5人目、ジェイコブ・カリスキーと妻ルドウィカ

 

■ ワルシャワ・ゲットーからの脱出 

 イザ・ラポンスは戦前、ポーランドのワルシャワで生まれた。1940年秋、ナチス・ドイツがワルシャワにゲットー(ユダヤ人の強制住居地区)を作ると、父と一緒にそこに留め置かれる。第二次世界大戦中、ドイツが作った最大規模のゲットーだった。

 1943年4月、ワルシャワの街は「ゲットー蜂起」で揺れる。その3週間前、イザの父は、地下組織で活動するポーランド人警察と密約し、10代半ばだった彼女を荷車の中に隠しゲットーから外へ運び出した。イザはその後、ある女性の養女として終戦までかくまわれる。

 養母は戦後、ユダヤ系男性と結婚。イザは、養父母となった彼らと、1949年、バンクーバーに来た。養父の兄夫婦がバンクーバーにいたからだ。

 ゲットーからイザを逃がしてくれた実の父親が、いつどこで亡くなったのかは分からない。

 

■ 戦中、日本を経て北米に来たポーランド人

 イザの養父の兄夫婦二人と、彼らの米国に住む親戚三人は、いずれも杉原ビザ受給者だった。さらに、養父母がバンクーバーで親しくした人々のうち、戦中に日本を通過してカナダに来たポーランド人が19人いる。合計24人のうち14人の名前が、杉原千畝が後日まとめたリトアニアのカウナスでの日本通過ビザ発給状況の表、いわゆる「杉原リスト」に載っている。

 14人のうち3家族には、ビザ受給にあたり夫あるいは父親の名前に含まれた妻や子供が5人いる。彼らの名前は「杉原リスト」には載っていないが、その5人を合わせると杉原ビザ受給者は19人になる。

 先の合計24人から19人を除いた残りの5人の名前は、「杉原リスト」で発見できない。そのうち三人は女性で、婚前の姓が分からないので特定できない。残った二人は男性だが、いずれも戦中、日本を経由してカナダに来たということであれば、三人の女性も含め、杉原ビザを受給していた可能性が高い。

 

■リストと名前

 「杉原リスト」には2139人の氏名、国籍、ビザのタイプ(日本通過ビザ)、発給日、徴収した料金が記載されている。受給者の名前を調べる際、念頭に置かねばならないことがいくつかある。

 女性が婚前の姓でビザを受給している場合には、旧姓を知らねばならない。また、後年、姓名のつづりをポーランド語やヘブライ語から英語風に変えたり、姓名を部分的あるいは全体的に変えた人がいる。つづり間違いや同姓同名もある。

 一方、このリストにはカウナスでの日本通過ビザ受給者の全ての名前が載っているわけではない。ビザが発給された1940年7月・8月で、特に8月中旬以降の受給者の中にはリストに載っていない名前が報告されている。

 さらに、偽造ビザや他人が受給したビザを何らかの理由で手に入れた場合、他人の身分証明書を使いビザを受給した場合なども、本人の名前はリストに載っていない。

 

■ 非ユダヤ系へのビザ発給

 注目すべきは、先の24人のうち二組4人はユダヤ系ではなかったことだ。

 ナチス・ドイツのポーランド侵攻で身の危険を感じたのは、ユダヤ系ばかりではない。多くの非ユダヤ系ポーランド人も同様に感じた。

 若い男性が最初に捕まるという噂が流れ、ポーランド政府は彼らに身を隠すようにと警告している。さらに、先導者となり得る政治家、聖職者、教育者、また報道に携わるジャーナリストなどは、ユダヤ系・非ユダヤ系を問わず逮捕のターゲットとなった。

 杉原ビザを得てバンクーバーに着いた非ユダヤ系の二組も、政治的あるいは軍事的理由からの逃亡だった。(当連載11回で紹介)

 

■ ワルシャワの思い出

 1950年代、両親の同郷たちを見ていたイザは20代。面談とEメールで寄せられた彼女からの情報は、かなりしっかりしている。時には、イザ自身の思い出も含まれた。

 「ワルシャワ・ゲットー蜂起」から70周年にあたる2013年4月、ゲットー跡地に「ポーランド・ユダヤ人歴史博物館」が開館した。その建物の写真を見ながらイザは、「戦前、そこから数ブロックの旧市街に父方の家族の家があった」と語る。しかし、「ゲットーでの2年間は、私の人生で最も惨めだった時期」とも。それでも、「ワルシャワは懐かしい人々との思い出がある場所」だから今でも、彼女はこう言う。「わが街、ワルシャワ」と。

(取材 高橋 文)

 

●参考文献
Irene Tomaszewski & Tecia Werbowski, ŻEGOTA: The Council for Aid to Jews in Occupied Poland 1942-45, Price-Paterson Ltd., 1994

 

「ポーランド・ユダヤ人歴史博物館」戦前はユダヤ人が多く住み、戦中はワルシャワ・ゲットーがあったムラヌフ地区に建てられた。ポーランドのユダヤ人1千年の歴史・文化を紹介する近代的博物館(2015年6月、高橋文撮影)

 

「ワルシャワ・ゲットー英雄記念碑」ゲットー蜂起の様子と蜂起の指導者モルデハイ・アニエレビィツが彫刻されている。「ポーランド・ユダヤ人歴史博物館」と向かい合って立つ(2015年6月、高橋文撮影)

 

 

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