2017年10月12日 第41号

戦中、ハルビンで絹織物の店を開いた。戦後、カナダで新事業展開。今、娘夫婦が引き継いだ店に客足が途切れることはない。

 

ハルビン時代のイジィ・フィッシュベイン(シェリル・アルージ提供)

 

■初めて聞いたビザの話

 「父がチウネ・スギハラから日本通過ビザを受給していたことを知ったのは、トロントで開かれた催しに叔父が出席したから」。こう話すのは、オタワに住むシェリル・アルージさん。彼女の父親の名前はイジィ・フィッシュベイン。

 トロントでの催しとは、1993年11月7日、カナダ・ユダヤ人議会と全カナダ日系人協会が共催した「杉原千畝氏感謝の夕べ」のこと。杉原の妻・幸子と長男の弘樹・美智夫妻が日本から招かれ盛大に執り行われた。プログラムを見ると、出席者の中にシェリルの叔父サム・フィッシュベイン夫妻の名前がある。他にも少なくとも3組、杉原ビザ受給者とその家族の名前がある。

 シェリルは、「父は戦中のことはあまり話さなかったので、あの催しがあるまでスギハラについては何も知らなかった」と言う。

 イジィは人前に出たり注目されるのが苦手で、結局、催しには出席しなかった。娘のシェリルには、それがもどかしく感じられた。

 

■兄弟で逃亡

 イジィ・フィッシュベインは1910年、ポーランド東部のブレストでユダヤ系の家庭に生まれた。両親は織物商を営み、四人兄弟で、イジィは三男。

 イジィと弟サムは、第二次世界大戦の勃発直前、ユダヤ系に降りかかる危機を予想しリトアニアへ逃げる。さらに逃亡するため、1940年8月7日、同国カウナスで日本領事代理・杉原千畝から日本通過ビザを受給。翌41年2月2日、神戸に着いた。

 いずれ日本からは出なければならない。同じ避難民たちが、米国やパレスチナなどへ入国を希望していた。しかし、どの国も移民枠は狭い。そこで二人は、ビザが不要な上海へ渡る。そこから北上し、満州国のハルビンに向かった。遠縁のおじが住んでいて、同国ビザ取得の保証人になってくれたからだ。

 

■「ハルビン時代」

 ハルビンは、もとは中国東北部の寒村だった。19世紀末、帝政ロシアがこの村を中国の清王朝から租借。ここを拠点にアジアでの領土拡大を目論み開発を進めた。そのため、中国の土地にもかかわらず、街にはロシア風の建築物が林立する。

 1917年、帝政ロシアは革命により崩壊。ソビエト政権による社会主義国へと変貌する。これに反対するロシア人や、さらにヨーロッパからの移民がハルビンへと流れた。ユダヤ人も続々と移住。目抜き通りにはユダヤ商会が並び、大きなユダヤ系コミュニティーができた。

 そのハルビンに1919年、杉原千畝が外務省留学生として渡り、ロシア語を学ぶ。同24年、ハルビンの日本総領事館ロシア係に就任。32年、日本の傀儡政権「満州国」が建国されると、杉原はハルビン市内にあった同国外交部に転任となった。

 1933年6月、ソ連と満州国との間で「北満鉄道」譲渡交渉が始まる。交渉委員の一人となった杉原は、堪能なロシア語と外交官としての手腕を遺憾なく発揮。満州国側に予想を上回る有利な結果を導いた。しかし、その後、同外交部を退任。35年、杉原は日本に戻り外務本省での勤務となった。

 フィッシュベイン兄弟がハルビンに着いたのは1941年春。ヨーロッパでは戦火が拡大し、アジアでは間もなく太平洋戦争が始まる。しかし、なぜかハルビンは平穏だった。兄弟はここで絹織物商を営む。

 終戦後の1950年、兄のイジィはハルビン生まれのロシア系ユダヤ人女性と結婚。52年、二人でカナダへ移住する。その後、ハルビンに残っていた弟サムの保証人となり、彼をカナダに呼んだ。

 

■家族の命について考えた日

 フィッシュベイン兄弟はオタワで、食料品店、馬具店、マーケットの経営と、事業を展開する。1968年、マーケットを火災で無くした後、スポーツ用品店を買い取り、事業を兄弟で分けた。イジィの店は、93年に彼が亡くなると娘のシェリル・アルージ夫妻が引き継ぎ、自転車店として現在に至る。

 「見せたいものがある」と、客との応対に忙しいシェリルが合間に案内してくれた店の奥にはイジィの肖像画が飾ってあった。「父そのまま」と彼女は笑う。

 もう一つ見せてくれたのは、杉原幸子著『六千人の命のビザ』の英語版。扉を開けると「1999年11月13日」の日付に「杉原弘樹」と署名がある。杉原の長男・弘樹がオタワを訪れ、シェリルの子供たちが通うヘブライ語補習校で講演を行った日だ。

 講演に先立ち、校長が父兄や子供たちに杉原千畝について説明した。皆が感動し感極まる。シェリルが意を決して、父親が杉原からのビザ受給者だったと名乗り出ると、会場の人々は驚いた。弘樹はシェリルと彼女の子供たちに署名入りの本を贈った。その時の気持ちをシェリルはこう振り返る。

 「ヒロキが父の命を救ってくれたかのように思えた。チウネからのビザがなければ、私も子供たちもこの世にはいなかった」

 「家族の命について、初めてじっくり考えた日だった」と語るシェリルの目は、記念の本を感慨深げに見つめていた。

 

●参考文献
・中日新聞社会部編『自由への逃走杉原ビザとユダヤ人』東京新聞出版局、1995年。 ・杉原幸子監修、渡辺勝正編著『決断・命のビザ』大正出版、2001年。

(取材 高橋 文)

 

 

自転車店に飾ってあるイジィ・フィッシュベインの肖像画

 

シェリル・アルージさん、杉原弘樹さんから贈られた本を手に、オタワ、2017年6月

 

 

 

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