2017年7月20日 第29号

ハリーナ・カントーさんから、「杉原ビザ」だという写真が送られてきた。しかし、そうではない。昭和16年3月21日付、駐ソ連大使・建川美次(たてかわよしつぐ)の署名がある「渡航証明書」だった。

 

ヨナ・ヨエルソンに交付された駐ソ連大使・建川美次の署名がある「渡航証明書」。(ハリーナ・カントー提供)

 

■家族再会

 1939年12月末、9歳のハリーナ・ヨエルソンは、母リーザ、叔母ロートカ、いとこイローナと共にリトアニアのビリニュスに着き、そこで待っていた父ヨナと叔父ミハルに再会した。

 その4カ月前の9月1日、ドイツ軍が西からポーランドに侵攻。第二次世界大戦が勃発した。ポーランド政府は、同国軍の新部隊を作ると発表。ヨナとミハルはそれに加わるため、同6日、住んでいたワルシャワ近郊の町ミエジュシンから東部へと発った。しかし、新部隊が作られることはなかった。 

 9月17日には、ソ連が東からポーランドに侵攻。独ソによる占領で行き場を失った多くのユダヤ系避難民が、隣国の中立国リトアニアに流れた。ヨナとミハルも、「リトアニアのエルサレム」と呼ばれるビリニュスにたどり着く。そして、ポーランドに残っている彼らの妻や娘たち四人をそこへ呼び寄せたのだった。

 

■三家族、リトアニア脱出

 ビリニュスで、ハリーナとイローナが同年代の子供たちと遊ぶ時、先頭に立つのはヘニエック・クルックという男の子だった。彼も、ワルシャワから母親に連れられ、父親が待つビリニュスに来ていた。

 1940年8月、ソ連はリトアニアを占領。ハリーナの両親はここからの脱出を決心する。幸い家族三人分の米国ビザを得た。米国へは、ドイツ戦艦が潜む大西洋からではなく、ソ連を横断して日本に行き、太平洋からと計画する。

 翌41年3月末、三人はモスクワへ向かった。そこで3日間滞在後、シベリア鉄道に乗車。手には、モスクワの日本大使館で得た「渡航証明書」があった。

 一方、イローナと彼女の両親は、ウズベキスタンへ逃亡。終戦までそこに留まった。

 ヘニエックと彼の両親は、40年8月、リトアニアのカウナスで日本領事代理・杉原千畝から日本通過ビザを受給。同年11月、無事米国に着いた。

 

■ 避難民を救った「渡航証明書」

 ハリーナの父ヨナ・ヨエルソンと母リーザがモスクワの日本大使館で得た「渡航証明書」には、昭和16年3月21日の日付がある。その4日前の3月17日、同大使館に東京の外務本省から次のような内容の電報が入った。

 「現在、日本には多くのユダヤ系をはじめとするヨーロッパからの避難民が書類不備のまま滞在している。これ以上の増加を防ぐため、ビザ発給数を限定する」そのための方針と、電報到着と同時に施行との指示があった。

 しかし、ビザ受給の望みを託し日本大使館に集まっていた避難民たちは、この新方針に進退窮まる。号泣し大使館から去ろうとしない者もいる。この窮状を目の当たりに在ソ連大使館は本省に、「新方針は現場の実情に合わない」「大使館の判断によるビザ発給の再開を」と訴え打電。その一方、ビザに代わる「渡航証明書」を交付する。

 この一連の経過に関し、外務省外交史料館課長補佐・白石仁章氏はこう語る。

 「在ソ連大使館はビザ発給が困難な状況において、避難民への同情と、実情に合わない本省の指示に精一杯の抵抗を試みた。その証が『渡航証明書』の交付だったのではないか」

 また、「杉原ビザ」との関係については次の二点を挙げる。

 一つは、「杉原領事代理が大量のビザ発給を行ったことは、逆に他の公館でのビザ発給を難しくした面もある。しかし、在ソ連大使館でのように、避難民を救おうとした外交官たちがいたことは特筆に値する」

 もう一つは、杉原の妻・幸子の著書『六千人の命のビザ』に、杉原がカウナスを離れる時、ビザを手にできなかった避難民らに、モスクワの日本大使館で受給するようにと手紙を残し、その一方、モスクワの同僚にはビザ発給を頼んでおいたとあることに注目。同書の「しばらくは、モスクワの日本大使館でもビザが交付された」との記述に白石氏は、「杉原領事代理が頼んでおいたからこそ、在ソ連大使館の領事業務担当者も唯々諾々と本省の指示に従わず、『渡航証明書』の交付で、精一杯の抵抗を示した可能性がある」と指摘した。  

 

■思い出の地を訪れた孫

 ヨエルソン一家は、1941年4月上旬、敦賀港で上陸し神戸に着く。同月25日には浅間丸に乗船し米国に到着した。

 ハリーナは結婚後、カントーという姓になり、夫の仕事の関係でカナダのトロントで暮らすようになる。今でも覚えているのは、神戸で宿泊していた日本家屋と向かい合って「ドイツ学院」があったことだ。校庭の子供たちを2階の窓から見ていた。

 その場所を、2016年4月、ハリーナの孫ジョッシュ・カントーさんと妻のアンさんが、日本を旅行中に訪ねた。

 それに先立ち、当時の「ドイツ学院」の住所と、現在の住所について、「杉原千畝記念館」のある岐阜県八百津町の同町役場と、神戸市役所ならびに同市文書館の協力で調査が行われた。そして、現在の表示は「神戸市中央区北野町3丁目1番」と分かった。

 カナダに戻ったジョッシュは、「神戸は、少女だった祖母が旅の途中に立ち寄った重要な場所。そこを訪問したことは旅のハイライトだった」と振り返る。

 ハリーナは、「神戸で孫たちはとても感動したことでしょう。ちょうど75年前の同じ月、私もそこで満開の桜を見上げてました」と、胸を熱くした様子だった。

(取材 高橋 文)

 

●参考文献
•Halina Kantor, My Recollections.
•Ilona Flutsztejn-Gruda, When Grownups Play at War, Sumach Press, 2005.
• 外務本省発電報第283 号「欧州避難民の査証取扱手続設置の件」1941 年3月17 日、 外交史料館所蔵。
• 在ソ連大使館発電報第334 号、1941 年3月21 日、外交史料館所蔵。
• 在ソ連大使館発電報第386 号、1941 年4月2日、外交史料館所蔵。
• 石田訓夫、白石仁章「調査研究 第二次世界大戦前夜における極東地域のユダヤ人 と日本外交」、『外交史料館報』第26 号、2012 年。 
• 杉原幸子『六千人の命のビザ』大正出版、1998 年。

 

ヨナ・ヨエルソンの妻エリザベタ(リーザ)・フルトシテインに交付された「渡航証明書」。(ハリーナ・カントー提供)

 

「ドイツ学院」跡地に現在あるスターバックスコーヒー店の前に立つジョッシュ・カントーさんと妻アンさん、2016 年4月。(ジョッシュ・カントー提供)

 

 

 

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