2017年8月31日 第35号

「ユダヤ系であろうとなかろうと、ポーランド国民であれば、国民としての権利を持つ」タデウシュ・ロメル駐日ポーランド大使はこう話した。

 

ポーランド外交官の公式礼服で、同国政府からの信任状を持って皇居に向かうタデウシュ・ロメル大使、東京、1937年(テレーズ・ロメル提供)

 

■ポーランド系避難民の日本上陸

 1940年秋から41年春にかけ、日本にはヨーロッパでの戦禍から逃れてきた避難民が続々と上陸した。その多くが、40年夏、リトアニアのカウナスで日本領事代理・杉原千畝が発給した日本通過ビザを手に、極東のウラジオストク港から敦賀港に着いたユダヤ系避難民だった。杉原が作成したビザ発給表では、受給者の9割以上がポーランド国籍。自国からの避難民到来に、駐日ポーランド大使タデウシュ・ロメルと大使館員は対応に追われた。

 ロメル大使は、ソフィア夫人と息女三人を伴い東京に駐在していた。当時15歳だった長女のテレーズ・ロメルさんは、現在、ケベック州モントリオールに住む。2014年6月、テレーズさんの自宅を訪ね取材した。

 

■大使館員の奮闘

 1940年・41年、東京でテレーズさん自身がポーランド系避難民を見たかどうか。

 「見ました。彼らは敦賀や神戸にはグループで到着していたけれど、東京のポーランド大使館へは、むしろ個人単位で来ていました。長く困難な旅の後だったにもかかわらず、身なりは私たちとさほど違いはなかった」と語る。

 東京に滞在していた避難民の場合、新年などの行事の際には大使館に招かれることがあった。そういう時にもテレーズさんは避難民を見た。

 ポーランド大使館と避難民とのかかわりにはどういうことがあったのか。

 「館員が敦賀と神戸に行き、日本当局との間で、ポーランド語やイディッシュ語の通訳をしました」

 「日本から最終目的地へ移動するにはパスポートが必要。しかし、多くの避難民がそのような身分証明書や必要な書類を持っていなかったので、大使館では各種の公式書類を交付しなければなりませんでした」

 パスポートの交付には、まず本人であることを証明するための出生証明や婚姻証明を作らねばならなかった。しかし、日本でそれをすることは容易ではない。大使館員は、互いに見知っている人々を捜しあて、詳細を確認していかねばならなかった。

 同時に、書類申請者への対応には注意を要した。ソ連が諜報員を日本に送り込んでいるという噂があったからだ。

 またロメル大使は、ソフィア夫人を委員長とする「戦争犠牲者救済委員会」を設置。同会は、資金や物資の援助を極東のポーランド人社会のみならず、米国のユダヤ系団体など多方面に要請。横浜や神戸にあるユダヤ系団体とも連携し、救済活動を強化した。

 

■ロメル大使が語っていたこと

 「父は仕事での話と、家族との会話を区別していました」とテレーズさんは振り返る。ロメル大使は、秘密情報を含め仕事上のことは家族に話さなかった。しかし、避難民や祖国のことについて心配していることは家族にも察することができた。

 「大使館には、独ソに占領された本国から電報が来ていて、恐ろしいことが起こっていると家族にも分かりました」

 1941年10月、日本は、同盟国ドイツからの圧力と、同年12月の太平洋戦争開戦を前に、ポーランドとの外交関係を断絶。ロメル大使一家と館員は上海に退去した。しかしここでも、大使館員はポーランド系避難民の登録や救済に全力をあげた。

 「上海では東京より多くの避難民を見ました。超正統派ユダヤ教の黒い帽子にスーツの人々もかなりいました」とテレーズさん。

 ロメル大使は家族にこう話していた。

 「ユダヤ系であろうとなかろうと少数民族であろうと、ポーランド国民であれば、国民としての権利を持つ」

 

■避難民への人道的対応

大戦終了後の1948年、ロメル大使一家はカナダへ移住。モントリオールに住み、同大使はマギル大学でフランス語を教えた。1978年3月、逝去。

 第二次世界大戦中のポーランドと日本の協力関係について調査・研究を長年行っているワルシャワ大学東洋学部日本学科のエヴァ・パワシュ=ルトコフスカ教授はこう語る。 

 「ロメル大使は、ポーランド外交史上、重要な人物の一人。ポーランド・日本の二国間関係においては、1937年、初代の在日ポーランド大使として就任して以来、同41年の太平洋戦争開戦の直前まで両国の友好関係に努力した」

 「ポーランド大使館員は、敦賀港での自国避難民の上陸や、神戸をはじめとする滞在地での住居・衛生・衣類の確保に奔走した。また、日本での滞在延長、ポーランドパスポートの交付、最終目的地へのビザ取得、ポーランドに残っている家族との連絡や文化面に及ぶまで献身的に助けた」

 さらに、「ロメル大使は、命の危険さえ伴う日本軍占領下の上海でも、避難民のために活動を継続した。ユダヤ教の教えに、『一人の命を救うことは全世界を救うのと同じ』とあるが、これはロメル大使にもあてはまると思う」と、ルトコフスカ教授は語り、窮地にあったポーランド系避難民の救済に陣頭に立ったロメル大使の貢献を再度強調した。

 

●参考文献
エヴァ・パワシュ=ルトコフスカ、アンジェイ・T・ロメル著、柴理子訳『日本・ポーランド関係史』彩流社、2009年。
Ewa Pałasz-Rutkowska “The Polish Ambassador Tadeusz Romer – A Rescue of Refugees in Tokyo”, DEEDS AND DAYS 67, Vytauto Didžiojo Universitetas, 2017.

(取材 高橋 文)

 

 

東京都港区三田綱町(現・三田2丁目)、蜂須賀侯爵家の敷地にあったポーランド大使館の庭園で、右からタデウシュ・ロメル大使、大使秘書、長女テレーズ、ロメル大使夫人ソフィア、同大使館付武官(テレーズ・ロメル提供)

 

中央:テレーズ・ロメルさん。左:両親が杉原ビザ受給者のジュディス・ラーマー・クラウレイさん(当連載5回)。右:父親が同ビザ受給者のシェリー・ファビアンさん(当連載3回)。ケベック州モントリオールのテレーズさん宅で、2014年6月

 

 

 

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