2017年8月17日 第33号

戦前、二人でオートバイのクロスカントリー・ラリーに挑んだ。第二次世界大戦中、逃亡する時も助け合った。

 

ミエテック・ランパート、日本人女性と。日本(撮影場所不明)、1941 年(アイリーン・クラー提供)

 

■それぞれワルシャワ出発

 戦争が始まって以来、ポーランドに侵攻してきたドイツ軍は、ユダヤ人を捕まえては労働収容所へ送っている。ミエテック・ランパートは、ワルシャワからオートバイでリトアニアに逃げることにした。それを聞いて、いとこのセム・ローゼンブラムも逃げることにする。

 セムは、大戦勃発でワルシャワから引き揚げたユーゴスラビア大使の車を、運転手付きで使えることを知る。プレートが外交官用ナンバーならば、スムーズに進めるに違いない。彼は友人を誘ってその車で行くことにした。

 「リトアニアで会おう」ミエテックとセムは、それぞれワルシャワを発った。二人は30歳だった。

 

■危機一髪

 「検問だ」セムと友人が乗った車の前に橋が見え、ドイツ兵が立っている。車が止められ、セムたちは降り、ドイツ兵から身体検査を受ける。

 「見つかった」セムがポケットの中に隠していた金貨が没収される。

 運転手はユダヤ人ではない。彼だけに橋を渡る許可が下りた。しかし、セムたちは近くの農家に連行される。

 ドイツ兵はゲシュタポ(ナチス・ドイツの秘密国家警察)に報告のため、見張りも置かず、姿を消した。その途端、その家の農夫が窓から首を出し、「逃げろ。ドイツ兵が戻ったら、拘留者は逃げたと言ってやるから」とまくし立て、安全に川を渡る他の道を教えてくれた。

 セムたちが向こう岸に着くと、なんと運転手が待っている。感激して全員で抱き合った。

 

■助け合って逃亡

 ミエテックとセムはリトアニアで合流した。しかし、1940年8月、ソ連がリトアニアを併合。

 「ここも危ない。脱出だ」同月16日、二人はカウナスの日本領事館で、領事代理・杉原千畝からそれぞれ日本通過ビザを受給した。

 次は、ソ連当局でソ連通過ビザを得て、その後、極東の港町ウラジオストクへ向かうシベリア横断鉄道の切符を購入。一人200ドルをアメリカドルで支払わねばならない。しかし、リトアニア人警官がソ連当局周辺で通行人を抜き打ちで止めては、外国通貨を持っている者を逮捕しているという。「外為法違反か… 」。

 そこで二人は一計を案じた。一人がビザと切符の入手のためソ連当局に入り、窓ぎわに立つ。もう一人は子供を見つけて、小遣いをやるからと約束し、二人分400ドルをくるんだ新聞を持たせソ連当局へ走らせる。そして、窓へ向かって投げ込ませる。子供なら警官は気にも留めない。これはうまくいった。

 ウラジオストクから日本船に乗った。ユダヤ系避難民でごった返す下層階は息苦しいので、甲板に陣取る。日本海の荒波のしぶきに容赦なく襲われるが、それとは関係なく空腹を覚える。下層階へ行って、船酔いで七転八倒している人々に向かって叫んだ。「だれか食べ物を売ってくれ」すると、「酢漬けニシン」の瓶を持った手が伸びてきた。

 甲板に戻り、平らげる。見ると瓶の底に何か横たわっている。「金貨だ」

 慌てて、その瓶を船酔いに苦しむ持ち主に返した。

 

■ヨーロッパに戻った二人

 1941年2月25日、二人は敦賀港から日本上陸。神戸に着いた。

 ミエテックは日本滞在中、英国軍ポーランド人部隊に入隊を決意。カナダで軍事訓練を受けるため同年6月、横浜から氷川丸に乗船しバンクーバーに到着。その後、オンタリオ州オーエンサウンドのポーランド軍基地で訓練を受け、ヨーロッパの戦場に向かった。44年、ノルマンディー上陸作戦に加わり、翌45年、英国で戦勝の日を迎えた。

 戦後、カナダに戻り、モントリオールに住む。日本から竹製品などの輸入を手掛けた。同じ杉原ビザ受給者のモロ・ロストンやボルフ・ベイレス(当連載3回)と親交を持ち、それぞれの娘たちは今だに連絡を取り合っている。

 一方セムは、太平洋戦争の気配が忍び寄る1941年夏、日本政府により、他のユダヤ系避難民と共に上海に送られた。ここで繊維関係の仕事に就く。終戦後、南フランスで隠れて生活していた家族と再会。そのままフランスに留まる。上海時代に築いた取引を生かし、衣料品をフランスへ輸入しながら新たな人生を築いた。

 ミエテックの娘でアルバータ州エドモントンに住むアイリーン・クラーさんは、二人の生前の思い出をこう語る。

 「父とセムは、見た目も気質も似ていた。ユーモアがあって、いつも人生を楽しもうとしていた」  逃亡中の行動もどこかユーモラス。一連の取材の中で、異彩を放った二人だった。

●参考文献 Michel Rozenblum, The Rozenblum family’s story.

(取材 高橋 文)

 

 

ミエテック・ランパート(左端)とユダヤ系避難民。横浜からバンクーバーに向かう氷川丸船上、1941 年6月。英国軍ポーランド人部隊に入隊する他の杉原ビザ受給者も数名写っている(アイリーン・クラー提供)

 

セム・ローゼンブラムの上海での身分証明書。左に見える交付日の中華民国歴32年は、1943年にあたる(ミッシェル・ローゼブラム、ピエール - エリオット・ロザン提供)

 

ミエテック・ランパート(左)とセム・ローゼンブラム、モントリオール、1968年(アイリーン・クラー提供)

 

 

 

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