2017年1月19日 第3号

「あのビザのおかげで、今こうして私や私の家族がいます」 2012年7月・8月、何度もこの言葉を聞くことになった。杉原ビザ受給者と子孫、合計7家族15人のビデオ収録中のことだった。

 

ビデオ収録した7家族から集まった32人と制作者の高橋文(中央)。このうち、杉原ビザ受給者2人、直系の子孫19人、残る11人は配偶者。高橋の左がジョージ・ブルマンさん。2012年、11月(ブルマン家提供) 

 

■ビデオ制作

 バンクーバー近郊に住む私は、岐阜県八百津町にある「杉原千畝記念館」との交流を通し、当地に住む杉原ビザ受給者や子孫らからメッセージをとの依頼を受けていた。

 2012年1月、バンクーバー市内で開催の映画『命のビザ』上映会で、同ビザ受給者の子孫であるジョージ・ブルマンさんと出会った。杉原記念館からの依頼について相談すると、バンクーバーには他にも杉原ビザ受給者や子孫がいると言う。そこで、彼らからのメッセージをビデオ収録して杉原記念館に贈ろうと企画した。それぞれの家族に打診すると、全ての家族から「参加」の声が打てば響くように返ってきた。「とても大切なこと」「協力を惜しまない」との励ましも添えられていた。

 撮影には、ワーキング・ホリデーでカナダ滞在中の服部節子さんが、日本の職場での経験を生かして貢献してくれた。編集は、コンピューターやソフトを提供してくれたバンクーバー新報社で行った。こうして、2012年9月、『チウネ・スギハラへのメッセージ』と題した7家族ごと、合計3時間ほどのビデオが完成した。

 ビデオは現在、杉原記念館で常時放映されている。また、イスラエル国立ホロコースト記念館ヤド・ヴァシェム、バンクーバー・ホロコースト教育センター、モントリオール・ホロコースト記念センターへも贈呈がかなった。

 以来、カナダに来た杉原ビザ受給者に関する情報収集と取材は、カナダ全土へと広がっていった。

 

■ワルシャワ脱出

 バンクーバーの7家族を紹介してくれたブルマンさんの両親は、共にポーランドのワルシャワで裕福なユダヤ人家庭に生まれた。父ナテックと母ゾシアは、戦前に知り合い、婚約していた。

 1939年9月1日、ソ連と共にヨーロッパ分割を目論む西隣のドイツがポーランド侵攻を開始。第二次世界大戦の勃発となる。ワルシャワの街には大型拡声器を通し、若い男性は捕らわれる可能性があるので避難すること、また防衛軍の編成のため身体に問題のない男性は国内東部へ向かうようにというポーランド政府からの警告と命令が響き渡った。多くの者がこれに従った。ナテックも兄のロレックらと街を出た。

 その後、押し寄せるナチス・ドイツの脅威を背に、女性を含む家族らが先に移動した男性たちと合流しようと動く。難民となった人々は東隣の中立国リトアニアに流れ込んだ。

 ゾシアも、ナテックを追った。再会した二人はリトアニアへ向かう途中で結婚。ワルシャワに戻ることは二度となかった。

 

■日本通過ビザの噂 

 1939年10月、ソ連がポーランドに東側から侵攻。

 同40年6月、ソ連がリトアニアへ進駐。

 日増しに濃くなるソ連の影に、リトアニアに吹き溜まった難民たちの脳裏には「シベリア送り」という言葉がちらつくようになる。

 「ここから脱出しなければ」こう考えた彼らは目的地となる国のビザを求めて、カウナスにある各国大使館や公使館を歩き回る。

 そこへ、「オランダ領事が、カリブ海にある同国領キュラソー島行きビザを出す」、経由する「日本のビザを日本領事館が発給」という噂が難民たちの間に広がった。

 兄ロレックと妻ダンカは7月31日、両ビザを手に入れた。

 8月3日、リトアニアを併合したソ連は、各国の大・公使館に国外退去を命じた。

 兄からビザの話を聞いたナテックは、ゾシアとオランダ領事館に向かった。しかし、すでに退去していた。

 「最終目的地のビザが得られない」それでも日本領事館に行ってみた。長い列ができていた。幸い、領事はビザを発給してくれた。8月9日だった。

 

■日本へ

 日本へは、ソ連をシベリア鉄道で横断して極東の街ウラジオストクから船だ。シベリア鉄道の切符は、2枚で300ドル(当時)。米ドルで支払わなければならない。かき集めても100ドルしかなかった。ナテックは、係員に切符を売ってくれるよう懇願する。すると、横にいたゾシアの目から涙が止めどなく流れてきた。それを見た係員はナテックに向き直ると、50ドルだけ支払うよう言って切符の手配をしてくれた。  

 

■そしてカナダへ

 ウラジオストクから船で着いた敦賀港では、最終目的地のビザがなく書類不備だったが、米国のユダヤ人共同配給委員会からの派遣員の助けで上陸できた。1941年2月2日、神戸に着いた。

 ナテックは最終目的地のビザを探しに、神戸から何度か東京に行った。やっとカナダ公使館で入国ビザが手に入りそうになった。しかし館員は、一人分だけと言う。ナテックは、どうしても二人分が必要と訴える。その横でゾシアはじっと館員を見つめている。「なんとか妻の分も」と言うナテックの言葉に、促されるようにゾシアを見た館員は、ついに二人分のビザを用意した。

 翌6月26日、二人は横浜から日枝丸に乗船。7月9日、バンクーバーに着いた。

 振り返れば、ドイツ軍に追われるようにワルシャワを出た。ソ連兵に遭遇し捕まった。密入国するリトアニア国境では、警備兵の目からかろうじて逃れた。進退きわまりそうな場面が何度もあった。そのたびに必死に切り抜けた。生き延びるために。

(取材 高橋 文)

 

ナテック(後列、左から2人目)とゾシア(ナテックの右斜め前)、神戸でユダヤ系避難民らと。1941年(ブルマン家提供)

 

ゾシア(最上段、左から3人目)とナテック(ゾシアの右斜め前、写真中央)、横浜からバンクーバーに向かう日枝丸の船上でユダヤ系避難民らと。1941年(ブルマン家提供)

 

ナテック・ブルマンのパスポートに作られた日本通過ビザ。1940年8月上旬から使用されたスタンプによるもの。行先の「蘭領」と、発給日の8月「九日」だけが杉原千畝の手書き(ブルマン家提供)

 

●参考文献
Barbara Ruth Bluman, I Have My Mother’s Eyes, Ronsdale Press & Vancouver Holocaust Education Society, 2009.
Ilona Flutsztejn-Gruda, When Grownups Play at War, Sumach Press, 2005.
Dana Fast, My Nine Lives: A Memoir, Polish-Jewish Heritage Foundation of Canada, 2011.  

 

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