2017年12月14日 第50号

 

 

イラスト共に片桐 貞夫

 

「会いたい人いないの?」

「あんたさんがおったらいい、あんたさんが」

「寄居に帰りたいんでしょう」

「ん…もうすぐ帰るで」

 窓の外で小鳥がないている。軒下の雛鳥が生まれ出た歓びを歌い上げている声であった。

 青田チヨが自分のことを喋りだした。まるでこの時を待っていたように。不破美重子という聞き手が現れることを予期していたかのように。

 美重子は、この日から毎日来た。

 明日という日がないかも知れない。ここで聞き逃したらチヨの人生は永遠になくなってしまう。美重子は全身を耳にし、どんなことでも漏らすまいとチヨのかすれる声に耳をそばだてた。

 悲惨な内容であった。残酷な生涯であった。が、チヨは涙を混じず感情を出さない。一言一言かみしめるように非情な言葉を吐きだしたのであった。

 美重子は、少しでも長く、少しでも詳細にとペンを執った。しかし青田チヨの体力に限りがあった。しばらく喋ると目を閉じる。一時間もしない内に声が出なくなった。

 弱っていく。日に日にチヨの顔から肉がそがれていく。六日が過ぎる頃になると骸骨の上に一枚の薄皮が被さっているようになってしまった。

 もみじ荘の役員が、チヨの身柄を病院に移すと言いだしたが美重子は強硬に首を振った。

「ここで死なせてやって下さい。看護は私がなんとかします」

「ですが、ここで死なれると」

 ベットが使えなくなると言っている。

「私が新調します。お願いします」

 弱り切っている身体を移動させたら、それだけで命とりになる状態であった。

 七月六日。

 美重子は聞き忘れていることに気がついた。

「お婆ちゃん、『みずきさん』って誰なの」

 しかし遅すぎた。チヨは美重子の声を聞き取ってはいたが「みず・き・さー…は…みずさー…は…」と、繰り返しただけでそれ以上の声は出てこなかった。

 七月七日。

 美重子はその日に限り早く来た。

 チヨは眠っていた。呼吸するあかしも見せずに動かない。美重子は、チヨの右手が布団から出ていたので中に入れようとした。その時、骨だけの手が美重子の手を握った。

 チヨの口が動いた。声音にはなっていないが、なにか言っている。寄せた美重子のほほにチヨが「しゅーじさん」と言っているように感じられた。

 口の動きが終わるとチヨの指先から力が失せた。美重子は、チヨが酷虐な人生から開放された安堵のようなものを覚えて大きく息を吐いた。    

   四、写真花嫁

 青田チヨは故郷の寄居に相思相愛の人がいた。チヨが荒川を上下する雇われ「舟かた」の娘、相手は百姓の次男坊であったが貧しいながらも幼少からの仲であった。

 ところが、祝言の日取りが決まったばかりの夏の夜、チヨが別の男に犯された。廻船問屋のやくざな息子に操を強奪されただけでなく、その子を身籠もってしまった。

 チヨは「千本松」の突端から入水した。雨で増水した荒川に身を投げたのだ。しかし死ぬことはできなかった。チヨの身体は下郷河原の浅瀬に流れつき息を吹き返してしまった。腹の子だけが死んだのだった。

 チヨの両親は「きずもの」になった娘の身の振り方に外国を選んだ。隣の東児玉村から移民し、カナダの林業界で成功しているという人の話を聞いてきた。日本女が不足して、どんな女でも喜んで嫁に貰ってくれるという。

 十九才の青田チヨが、一枚の写真となけなしの八円の金を握りしめ、バンクーバーの港に着いたのは昭和二年、一九二七年の十一月、寒い雨の昼過ぎであった。

 嫁に貰ってくれるはずの「写真」の男が迎えに来ていない。他に頼る人間はこのアメリカ大陸に一人もいなかった。

「青田チヨさんだね…」

 人の雑踏が去り、日が暮れる頃になって背の低い日本人が歩み寄ってきた。

「写真」とは違う三十七、八の額の狭い男である。

「…杉山弘幸さんの代わりに迎えに来たんだ。彼は、ちょっとした怪我をしてね」

(続く)

 

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