2017年12月7日 第49号

 

 

イラスト共に片桐 貞夫

 

 いや、それ以上に山田明子と一緒にいたいという気持ちが強くなっていた。同行することに、美重子は同じ寄居を故郷に持つ青田チヨの供養をしているような安らぎを感じたからだ。

 山田は、青田チヨのように異国の地下で泣き続ける無数の女たちの悲慟を世に訴えんと半生を費やしてきた人なのだ。

「第一次大戦後のカナダにおける日系人排斥は弱まったんですか」

「いや逆だったと思います。この頃から日系漁民は漁業ライセンスの削減をされていますから」

 車内での会話はもっぱら日系カナダ人の歴史であった。

 美重子は意識して青田チヨのことは喋らないようにした。しかし、頭の中はいつもチヨのことでいっぱいであった。

 手首の古傷や刺青のことで、よりチヨに憐れみを感じるようになった美重子ではあったがチヨとの会話は進展しなかった。

 一人の身寄りもない生涯というのはなんなのか。若い身空で海を渡り、一度として故郷に帰らなかった。すねに彫られた刺青はなにを意味し、みずきさんというのは誰なのか。

 チヨは、美重子の持ってくるプリンとか羊羹をおいしいとは言うが、それ以上のことを言わない。いくら声を掛けても美重子の問いにのってこなかった。

 六月最後の土曜日は夏だというのに朝から冷たい雨が降っていた。

 もみじ荘のいつもの椅子に青田チヨの姿がない。美重子は不吉なものを感じた。

 体操が終わるや係の者に聞いた。

「青田さんはどうしたんですか」

「個室です」

 もみじ荘では病気になると個室をあてがわれる。

「どんな具合なんですか」

「それが、食べないんですよ。医者は、なにも悪いとこがないって言うんですが。とにかくなにを聞いても答えないんで始末が悪いです」

「で、どの部屋です?」

「三百二号室です」

 美重子はエレベーターを待たずに階段を駆け上った。

 青田チヨは顔を戸口の方に向けて横になっていた。美重子の到来を待っていたかのように、ドアを開けると顔をゆがめた。いくつかの皺が寄っただけであるが、それがチヨの微笑みであることが美重子に分かった。

 チヨの顔が変わっている。一週間見ないうちに、欠食症特有にほほ骨がつき出て目がくぼんだ。口のあたりが骸骨のようであった。

 美重子はすぐにいけないと思った。青田チヨはこのまま死ぬ。なにが原因か知らないがこの高齢にして食べなくなったのである。それに、美重子に向けた微笑みに死相のようなものが感じられたのであった。

「どうしたの、お婆ちゃん。だめじゃないの食べなくっちゃー」

 美重子はいつもの口調を選んで言葉にした。

「あり・が・と‥さん…」

 か細い声がした。椅子を取ろうと後ろを向いた美重子の耳に、低い声ではあったがチヨの声が聞こえた。

 美重子が枕もとに座った。

「元気になるのよ。おいしいものをたくさん食べるのよ」

 美重子は、微笑みを絶やすことなく言った。

「あり・が・と…ありが・とさん」

「どうしたの、そんなに改まって、いゃーね」

「こんなに・して・もろて‥死んで・ける」

 チヨの目が懸命にほころんでいた。

「………」

 青田チヨが死んでいく。

 それは、美重子がいくら言葉を繕ってもどうしようもない現実であった。なんと言って慰めていいか分からない。せめてわずかに残った時間に、できるだけのことをしてやりたかった。

「お婆ちゃん、なにか一緒に食べましょう。湯豆腐ならすぐにできるわよ。それとも甘いものがいいかしら 」

 チヨは首を振る動作をした。

「みず・ちょう・だい」と、だけ言った。

 水管を含ますとチヨは嬉しそうに水を飲んだ。それから顔を天井に向け、しばらく目を閉じてから顔を戻して美重子に言った。

「よりいにな、山があるんじゃ。かまふせ山っていってなぁー、うまい水が湧きでるんじゃ」

「‥‥」

 チヨの脳裏には「ふるさと」しかない。美重子はなんと口を合わせていいか分からなかった。

(続く)

 

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