2017年10月19日 第42号

 ニュートリノという素粒子の物理学的奇妙な振舞を次々に解明して二つもノーベル物理学賞を与えられたのが、神岡鉱山跡地に設置されたカミオカンデ、スーパーカミオカンデである。東大の物理学科の一つの講座でこのような偉業を成し遂げたのは異例である。

 この装置を先導したのが東大の小柴昌俊教授であった。1970年代、東大の小柴先生はニュートリノ観測に挑戦し始めた。原子核は陽子と中性子で構成されているが、これらの素粒子は決して安定ではなく自然に崩壊してしまう。これが『大統一論』と呼ばれる理論であるが、この崩壊を見つければ物理学には大事件となる。そのためには予言どおり陽子が崩壊してニュートリノが出てきたことを証明することが重要だった。

 そのころ私は日本学術会議の物理部門の委員をしていた。日本物理学会から選挙で選ばれていたのだった。小柴教授の神岡鉱山でのニュートリノ観測プロジェクトはまずこの日本学術会議の審議にかけられた。委員会は当初この計画に反対、あるいは批判的なものだった。

 多くの委員たちには東大の物理学科の、一講座の研究費に何十億、いや何百億というのは異例なことだった。それに小柴先生自体が東大にしては『異例』な先生だった。学術会議委員会直前、私は大学院時代の指導教授の先生の一人と話しをした。『大槻君ね、今度小柴のヤツがとんでもない計画を学術会議に出すから覚悟しろよ』え?アノ小柴先生がですか?

 小柴先生は大学の講義に長靴でやってくることを思いだした。友人たちは小柴先生は『東大ドカタ』と噂していたのだった。この先生が神岡鉱山の跡地地下1000メートルの場所にニュートリノ観測装置を作るというのだからまさにドカタ先生にふさわしいではないか。読者の皆様は神岡鉱山と言われてもそれがどこにあるか、想像もできないことだろう。それは北アルプスの南、奥飛騨の奥地、亜鉛、鉛、銀鉱山の廃坑である。そこに行くのにどう行けばいいのかさえ私には分からなかった。

 学術会議の委員会は紛糾した。2時間の予定が5時間たっても結論が出なかった。委員会では東大の一講座のために数百億の研究費を出せば、圧迫されることを心配したのだったのだ。

 しかし徹底的に議論してゆくうちに次第に落ち着くところに落ち着いた。この観測でニュートリノが発見されれば物理学(大統一理論)にとって世界的ショックになる。これは『他の研究費圧迫などケチなことで反対すべきではない』という結論であった。これによって小柴先生の第一の難関は突破された。

 次は東大の教授会が第二の難関であった。ここでも『他の講座の研究費圧迫』は主張されたが、その他に若い研究者、大学院生の『だれがそんな山の中の地下1000メートルに潜って作業するか』という反論が出た。いまも昔も東大生は『か細く紳士的』『動物よりは植物人間』というのが通り相場。だれがそんなところまで行くものか。その場で小柴先生は大声を上げたという。『東大から来なければ他大学からつれてくるよ』と。

 すったもんだの末、東大教授会も予算請求優先第1位として推薦した。かくして小柴先生はご愛用の長ぐつを履き、奥飛騨の奥地の地下1000メートルでの悪戦苦闘が始まった。技術的難関の一つは宇宙からニュートリノが入ってきたとき光る光電子倍管を大量に作ることだった。これを地方の中小企業(当時)『浜松ホトニクス』が引き受けた。

 1980年までかかって観測装置はほぼ完成した。しかしいくら待ってもニュートリノは宇宙から来なかった。やがて1987年小柴先生は定年を迎えた。これでさしもの小柴先生の努力も無駄に終わるのか。しかし何と定年1か月前、つまり同年2月2日、大マゼラン星雲で起きた超新星爆発によるニュートリノが観測されたのだった。

 


大槻義彦氏プロフィール:
早稲田大学名誉教授
理学博士(東大)
東大大学院数物研究科卒、東京大学助教、講師を経て、早稲田大学理工学部教授。
この間、ミュンヒェン大学客員教授、名古屋大学客員教授、日本物理学会理事、日本学術会議委員などを歴任。
専門の学術論文162編、著書、訳書、編書146冊。物理科学月刊誌『パリティ』(丸善)編集長。
『たけしのTVタックル』などテレビ、ラジオ、講演多数。 

 

 

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