SPECIAL 2008

2008年7月3日 第27号 掲載


「私のカナダ物語」
陶芸家 繁野金市さん
BCクリエイティブ・アチーブメント・アワードへの道のり


「人が考えつかなかったようなデザインを」と語る繁野さん

授賞式でゴードン・キャンベルBC州首相
とともに


Creative Achievement Awardの受賞に結びついた作品

Creative Achievement Awardの受賞に結びついた作品

カナディアンギースを描く繁野さん

斬新なデザインのティーポット



 「27年前に移民の私がBC州のクラフトコミュニティに認められ、州からこのように名誉な賞をいただくことを誰が想像したでしょうか」。5月15日第4回BCクリエイティブ・アチーブメント・アワード授賞式の壇上、多くの聴衆を前に陶芸家・繁野金市さんは述べた。27歳でカナダに移住し、そこから27年経った今年、この受賞は繁野さんにとって人生の大きな記念碑となった。

自宅のスタジオで制作に明け暮れる
 ブリティッシュ・コロンビア・アチーブメント・ファウンデーションが2004年に開始した、卓越した作品を生み出すクラフトアーティストに贈るBCクリエイティブ・アチーブメント・アワード。この賞を受賞し、5000ドルの賞金を獲得した4名のうちの一人に選ばれた繁野金市(しげの・きんいち)さんはリッチモンド在住の陶芸家である。繁野さんのスタジオは自宅の裏にある。入り口付近に大きな電気の焼窯が3つ、奥に入ると右手にはロクロ、二つのテーブルは絵付けと粘土をこねるためにある。左手の棚には制作途中の作品が並ぶ。

 白い粘土を菊練りという方法でこねる。大きく硬い粘土の塊も繁野さんの手にかかるとやすやすと形を変える。練りのポイントは土の中の空気を出し切ることだという。白の粘土を好んで使うのは「一番絵付けの色が引き立つから」。山状の粘土をろくろに置き、繁野さんが手で触れていくとたちまち形の整った花瓶になった。粘土に触れる繁野さんを天窓から差し込む光が柔らかく包んでいる。

繁野さんが触れるとたちまち姿を変えていく

 

 

 

 

 

 

「陶芸の道は何か大きな力によってそうさせてもらったように思う」
 長野県の山間の町、伊那市で男ばかりの4人兄弟の末っ子として生まれた繁野さん。高校卒業の進路は、「手に技術を付けること」と考えていた折、新聞の中に、ある陶芸家の記事を目にした。「これだ!」と強く惹かれ、瀬戸の県立陶芸学校に進学を決めた。弟子をとらない陶芸家の多い中、知人の紹介で新進芸術家色の強い日展系の師匠につくことができた。そこで日中は仕事としての作品を作り、夜や休日は自分の作品作りに励んだ。その傍ら、モデルを観察して人間の姿をかたどる彫塑の会にも足を運ぶようになった。しかし20代の情熱はそこに止まることなく、海外青年協力隊への参加を志願し、いつでも海外に飛んでいく心積もりができていた繁野さんは、さらにカナダ、アメリカ、オーストラリアの大使館に連絡を取り、海外行きのチャンスをうかがっていた。 

 その後カナダ大使館から、ある会社からの求人が入ったと繁野さんに連絡があり、二つ返事で面接試験に向かった。その後、会社の用意した研修生として、有田の窯業試験場と会社の研究室で1年間勉強し、その後会社を通じて永住ビザが用意された形でカナダに渡ったのは1981年のことだ。

 しかし「自分の仕事は彫刻的なアート作品を作ること」と認識していた繁野さんに、量産を旨とする会社の仕事は続かなかった。陶芸作家として身を立てることを夢に、現在の場所にスタジオを構えたのは24年前のことだった。

BC州を代表する作品に
 日本的な情緒を感じさせる作品、手や靴をモチーフにした作品、個性的な形をしたティーポットの作品と、繁野さんの陶芸作品には、いくつかの異なった色あいがある。それは「自分の持っている技術を使い分けたことによるもの」だという。

 一見、その雰囲気からツルと思われることが多いが、カナディアンギース(カナダ雁)を描いた作品は代表作のひとつ。「17年前のコンペティションに臨む際に、日本的なイメージで行こうと決め、家紋などのシンプル性からヒントを得ました。具体的には馬の目皿という瀬戸にあるデザインとツルのイメージを合わせていったんです。しかし、ツルでは日本的過ぎると思い、当地のカナダ雁を取り入れました」。繁野さんのお気に入りの藍色の顔料である呉須が、このデザインの持つ情緒をさらに深いものにしている。

 91年にカナダ雁をモチーフとした作品がBC州でのTable of honourの大賞を受賞し、12セット84点のディナーセットを作る権利と賞金を獲得し、作品がビクトリアの副総督(ルーテナント・ガバナー)公邸に納められた。またこの作品はAPEC(アジア太平洋経済協力閣僚会議)の会食にも使われた。1997年バンクーバーで行われたAPECに出席した当時の米国大統領ビル・クリントン、日本の首相の故・橋本龍太郎ほかの面々が会食するテーブルに、繁野さんの作った食器が並べられたのである。  
        
形の限界への挑戦
 手の形の作品は、人体の彫塑作りの経験と、人間の体の面白さに惹かれて生み出されたものだ。目を惹くのはティーポット作品の姿形。機能性・実用性よりも芸術性を重んじたものとなっている。「濱田庄司などの民芸派の陶芸家は『機能美の中に美しさがある』と語りましたが、機能的ではなくても美しさはあると思うんです。人々が受け入れられないところへの挑戦が好きですね。100パーセント機能的なものを作ると、自分にギルティを感じてしまうこともあるんです」

 斬新なデザインの創作に取り組む繁野さんの日頃の習慣は新聞雑誌のスクラップとスケッチ。「ほとんど役に立たないんですが、役に立つこともあります」と語るほっとするような笑顔に、こちらの緊張までほぐれる。スランプから立ち直る方法はと尋ねると「人間関係が大事ですね。(落ち込んでいても)誰かから制作の依頼が来ると、何かしてみる気持ちがおきてきます」と答えが返ってきた。

 他のことに目移りすることなく、陶芸一筋に生き、磨き抜かれた技術、丹念な作りこみ、そして独自のアイディアで人の感性を刺激するような作品を世に送り込んできた繁野さん。故郷・伊那を離れて瀬戸へ行く時も、日本を離れる時も、その都度けじめをつけてきたという。「さまざまなデザインと形を通して、故郷の日本が残してくれたものとここでの暮らしをブレンドしようと試みてきました」5月の授賞式でこう述べた繁野さんの胸に、自分の進んできた道への確かな自信があふれていた。

(取材 平野香利)

繁野金市さん
1953年生まれ。長野県出身。瀬戸の県立陶芸学校でセラミックのデザインを学んだ後、陶芸の師匠のもとで7年間徒弟として技術を磨く。1980年有田で一年間、呉須絵付け法などを学んだ後、日本の会社から求人を受け、1981年カナダへ移住。以来、27年間BC州を拠点に制作に励む。

1989年カナダ代表二人のうちの一人として第46回国際セラミックアートコンペティション(イタリア)に入選。1994年東京・高島屋のギャラリーに展示される。1990年キャンベルスープ社主催のコンペティションに入賞し、キャンベルスープ・ミュージアム・コレクションの一部となったスープ・チュリーンほか、入賞経験、永久保存作品多数。多方面から依頼を受けて制作を行っている。

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