SPECIAL 2008

2008年6月12日 第24号 掲載


5つの内閣を支えた元内閣官房副長官
古川貞二郎氏特別講演会


講演中の古川貞二郎氏

講演会会場

古川氏ご夫妻



 村山、橋本、小渕、森、小泉の五人の首相を“官僚のトップ”として支え続けた、古川貞二郎氏の特別講演会が去る5月16日、バンクーバーのターミナル・シティ・クラブで催された。『10年後の日本のあるべき姿と今後の世界との関わり方』と題されたこの講演会は、「日本・カナダ商工会議所」の発足5周年を記念するイベントの一つ。広い会場には150人を超える人びとが集まり、国政の中枢で活躍してきた古川氏の、穏やかな口調ながら鋭い指摘に熱心に耳を傾けていた。

「志を高く持って、あきらめることなく努力すれば必ず道は開ける」
 古川貞二郎氏は、厚生省から内閣官房首席内閣参事官を長く務め、さらに内閣官房副長官として、8年7カ月という記録的長期間にわたって、5人の首相を支え続けた。副長官に初めて就任したのは、阪神淡路大震災が起こった直後、村山総理大臣と共に、未曽有の災害に立ち向かわなければならなかった時だ。今回の特別講演会を「まず、ミャンマーや中国の被災者の方々に深いお悔やみとお見舞いを申し上げたい」という言葉で始めたのも、古川氏の大災害に対する深い思いが感じられた。

 古川氏は佐賀県の農家に生まれ、両親が懸命に田畑で働く姿を見ながら成長してきたという。大学時代に将来の進むべき道を考えていたとき、古川氏の心にまず浮かんだのは「両親のように一生懸命働いた人の老後は幸せであるべきだ」という思いだった。そのため国家公務員として厚生省(現厚生労働省)を目指したが、最初の年は試験に落第。翌年の国家公務員試験には通ったものの、厚生省の採用には漏れてしまった。しかし、古川氏はあきらめず、人事課長を粘り強く説得して、とうとう厚生省に入省することができた。古川氏は「私は調整の名人と言われていますが、実は不合格の名人なんです」と笑顔で語ったが、この入省までの不屈の精神は、その後の行政官としての古川氏の思想と行動の基盤を作ったと言えるだろう。「志を高く持って、あきらめることなく努力すれば必ず道は開ける」と古川氏は行政官時代からしばしば語っている。

「官邸風船論」で首相を支えるのが理想
 内閣官房副長官とは、政務を担当する政治家(国会議員)から2人、行政事務を担当する官僚出身者から1人選ばれ、3人で首相を支える重要な地位だ。とりわけ古川氏が担ってきた行政事務担当副長官は、首相、官房長官、そして副長官へと一直線につながる形で、その役割範囲も広い。

 「官邸にはいろいろな能力のある人が集まってくるが、力を合わせて仕事をしていかなければならない。誰かが『俺が、俺が』と言い張ると風船は破れる。反対に『私は私は…』と引っ込むと風船はしぼむ。いろいろな才能をもった人が集まって、あたかも風船がまるく膨らんでいるような状態で首相を支えるというのが理想」と古川氏は言う。このユニークな「官邸風船論」は、『調整の名人』と讃えられてきた古川氏の基本姿勢を示すものでもある。

 今回の講演の前に行われた記者会見においても、古川氏は本紙の質問に応え、「調整力が優れていると言われてきたが、自分では調整力や交渉力に優れていると思ったことはない。相手が信頼してくれているということが大事。『この人が言っていることは本当なんだ』と、相手が信頼してくれないと、いくらでも反対の種を見つけることができる。『自分たちのことも考えてくれているのだ』ということを分かってもらえれば、調整ができる。例えば、A省とB省が言っている事柄が対立することがあっても、間違っても、足して二で割るような調整はしない。各省庁にとってではなく、国家にとって何が一番大事なのかを優先する。各省の主張を聞いて、調整するのではなく、国家とか、人類とか、世界とかというところから私自身が考える。相手の立場を尊重するというより、より高い立場で目的を考えて、アイディアや考え方を出しながら納得させていくのが調整です」と語り、より広い視野と高い志の大切さを強調した。

「コップ半分の水」をどう見るか
 第二次大戦後、現在の福田首相まで、30人の首相が官邸の『主人公』となった。古川氏は、内閣官房首席参事官時代も含めると、この内の11人の首相と関わってきたことになる。この経験を踏まえ、古川氏は日本の政権の不安定さを「決して良いことだとは思わない」と語る。「戦後の日本の首相で、3年以上の政権にいた人は6人しかいない。一年未満が9人。日本の政権がいかに不安定かということがわかるだろう。こうした不安定さの中で日本が発展してきたことを評価して良いとは思うが、これからは、世界の状況に迅速、的確に対応していくために、しっかりとした安定した政治指導体制を作っていく必要がある」と指摘した。

 短期間で政権が交代するため、「志半ばで去っていく」首相も多かったという。中でも古川氏の思い出に強く残っているのは、竹下首相と小渕首相の二人だ。竹下首相は消費税の導入とリクルート問題などで退陣に追い込まれていったのだが、超少子化時代が目の前に迫っていた1980年代当時、「医療や介護、年金などを含め、将来の国民生活の安定のためには、消費税の導入が絶対必要との竹下首相の判断は正しかった」と、古川氏は指摘する。消費税の導入に苦慮する竹下首相に同情的な声をかけた時、首相は「古今東西、税をいじって支持率が下がらなかった政権はない。あまり心配しなくてもいいよ」と、かえって古川氏を慰めてくれたという。

 もう一人、古川氏の心に強く残っているのは、病気でやむなく退陣することになった小渕首相だ。小渕首相の演説といえば、「コップ半分の水」の例えが有名だが、この演説原稿の作成にも古川氏が関わっていたという。

 平成11年に開かれた第145回国会の施政方針演説で、小渕首相は、21世紀を目前にした日本が経済的な困難に直面していることを指摘し、「冷静な状況認識はもとより重要であります。しかしながら、いまや大いなる悲観主義から脱却すべき時が来ている。行き過ぎた悲観主義は活力を奪い去るだけ、今必要なのは建設的な楽観主義であります。コップ半分の水をもう半分しか残っていないと投げるのはたやすいことであります。しかし、私はまだ半分も残っているじゃないかと考える意識の転換が、今まさに求められている」と訴えかけた。

 「コップ半分の水」の例えは、翌年の147回国会の施政方針演説でも繰り返し語られた。この施政方針演説の推敲を首相と古川氏とで行っていた時、小渕総理は「コップの水の例えは日本国民の悲観主義からの脱却のため必要。ぜひ入れたい」と強く主張したという。その結果、二回の施政方針演説はマスコミにも高く評価され、国民にも大きな影響を与えたという。古川氏は「施政方針演説というのは、どれほど心を込めて書いても、どうしても総花的と言われることが多い。マスコミに誉めてもらったのはあのときだけ」と笑顔で当時を振り返る。

 「砂漠を歩いている人が持っている水筒の水が半分になったとき、『まだ半分ある』と思える人は勇気凛々と歩いていける。しかし、『もう半分しかない』と思う人は途中でだめになるかもしれない。何事にも、表と裏、プラスとマイナスがあるが、何事もできるだけプラスにとって頑張ろうと言いたかった」と、古川氏は小渕首相の真意を解説し、この前向きな態度は現在の国民生活や政治状況にも有効であると語った。

政治の現況と日本の進むべき方向
 講演の後半は、政治の中枢で豊かな経験を積み重ね、退官後はより広い視野から日本の政治、行政の状況を見据えてきた古川氏ならではの現況分析と、今後の日本の進むべき方向への指摘が中心となった。

 古川氏は、『ねじれ国会』などという言葉に象徴されるように、「政党政治が行き詰まりを迎えており、新しいやり方が望まれつつも、具体的にはその機運が見えてこない」のが現況だと指摘する。大きく見れば『踊り場』にいるような状況の日本にとって、まずは政治における「指導体制の強化」が大切だというのだ。

 この指導体制強化の例として古川氏が挙げたのは、橋本内閣による行政改革の要として生まれた経済財政諮問会議と総合科学技術会議の二つ。この会議は従来の諮問機関と似たところはあるが、会議の議長は首相自らが行い、『官邸機能の強化』が大きな目的の一つとなっている。これらの会議には閣僚と経済界と学者が参加し、日本の経済の基本方針、科学技術の重点項目と作業工程を決めていく。これにより、経済財政と科学技術の基本的な企画立案機能が『官邸主導』で強化されることとなった。

 「重要項目とその作業工程の在り方を各省庁に任せるのではなく、『国家の立場』を見据えて、「選択」と「集中」を行い、官邸で指導体制を作っていく。各政党の意見などももちろん聞かなければならないが、そういう官邸の機能強化は時代の要請だ」と古川氏は強調する。また「国家としてやらなければならないことはたくさんあるが、何に重点を置くかを選択することが大事。総合的、重点的に予算も人間もつぎ込んで行くというやりかたが、これからの日本のシステムとして定着していくだろう」と付け加えた。

 現在の福田首相について古川氏は「小泉首相や安倍首相と違って、パフォーマンスは嫌い、むしろ恥ずかしいと思っている。地道な政治家だ。しかし、日本は劇場型の政治家に慣れている。ガソリン税のことや後期高齢者医療制度、トータルで見れば負担は少ないのだが、今後のことを考えると高齢の方にも応分の負担をしてほしい」と語り、現在福田首相が進めようとしていることは「どうしても必要なのだ」と述べた。一方、制度の在り方や目的、進め方などについて、政府の説明がわかりにくいと古川氏は指摘する。「自分も(政府内部に)長くいたので認めざるを得ないのですが、政府の説明の仕方は下手。退官後、外から見るとよく分かるようになった」と語って、会場内の笑いを誘っていた。

 選挙の見通しについては「福田首相は、今は洞爺湖サミットに集中して、これを成功させ、その上で安倍総理から引き継いだ内閣を改造して、自分の内閣を作るべきだ。選挙はそれからのこと。政治は地道であっていいが、国民に対し大きな目標を掲げるべきだ。年金や医療制度の改革は誰がやってもなまやさしいものではない」と指摘。古川氏は政界の再編が望ましいと再び強調した。また、選挙では「高福祉の高負担なのか、中福祉の中負担なのかといったようなことを柱にしながら国民に信を問うべきだ」と述べ、「総理大臣の就任のときはいつでも『重大な曲がり角』と言い続けてきた。しかし、日本は必ず危機を乗り越えてきた。自分は悲観していない」と、力強く語りかけた。

国際社会への日本の関わり方
 古川氏は、今後の日本の在り方、とりわけ国際社会への関わり方の鍵となるポイントを示して講演を締めくくった。まず、古川氏は橋本内閣から始まった経済構造の改革をさらに推し進めることによって、財政赤字を解消して行くことの重要性を強調。また、地方自治の問題でも、市町村の統合化は進んでいるものの「成熟した地方の活性化を促す知恵はまだ出ていない」と述べた。さらに、産学の連携による技術革新の重要性も強調し、環境問題では代替エネルギーの開発が最重要項目だと指摘した。

 古川氏によれば、今後の『国家の責任』の中心となるのは、グローバル化する国際社会への対応、自然災害を含めて国民の安全を守ること、また福祉や雇用の安定を促して国民に安心をもたらすこと、さらには教育問題が柱になるという。また世界との関わりについては、「地球は狭くなっていき、人口の大爆発やエネルギー、食料問題などは一国の対応だけで解決できる時代ではなくなった。以前は『国際貢献』と言っていたが、それは自分を高みに置いた立場。『国際社会の責任あるメンバーとして責任を果たす』という姿勢が大事」と、締めくくった。

「一滴の水が大河となる」
 今回の講演会は、「日本・カナダ商工会議所」の発起人の一人である小松和子さんがきっかけとなって実現したものだ。小松さんは「私は古川様や奥様を以前から存じ上げていましたが、我が家には『誰それと知り合いだ』などということを言いふらしてはいけないという家訓があるので、今までほとんど誰にも申し上げたことがありませんでした。しかし、古川様のすばらしいお話を自分一人で独占してしまうのは、あまりにももったいないと思ったので、講演をお願いしました」と講演会開催の経緯を語った。

 小松さんは古川氏の言葉の中で、特に感銘を受けたものとして「大河の一滴のごとく小さくても、良いことを積み重ねていけば、その良いことがやがて大河となり得る」と「調整とは将棋の駒をあちらこちらへ動かすことのように思われているが、そのようなことではなく公平、公正に決めていくことである。公平、公正にするには、個人的な感情を入れずに、大局的見地、客観的見地から、目的にかなっているか、目的に沿っているかを考えてきめる」の二つを紹介した。また、小松さんは困難な状況に立たされる度に、古川氏の「志を高く持ってあきらめない」という言葉を思い出しているという。

 今回の講演の中でも、記者会見の際にも、古川氏は「言葉を大事に」ということを何度も強調した。「発した言葉はそれを実現するように努力してきた」と語る古川氏の目は、誠実さに満ちており、「まだコップ半分も水が残っている」と、ポジティブな姿勢を貫いてきた人の力強さが感じられ、会場を埋めた人びとの心にも大きな感銘を与えた様子だった。

 

(取材 宮田麻未/写真 ケイコ・アイ)