MAPLE 2008

2008年5月15日 第20号 掲載
 

極寒のマニトバを
自転車で1100キロ

 


日本から持ってきたという自転車。テントやら食料品など全て積まれている

バンクーバー・ダウンタウンで

 毎年カナダの冬の寒さが一段と厳しくなる頃、日本から『挑戦』を胸にはるばるやってくる田中乾也さん。去年はマニトバ州ウィニペグ湖単独縦断に挑戦。今年は自転車でのマニトバ州縦断に挑戦した。

 4月上旬、今年の挑戦を終え、ウィニペグからの帰国途中、バンクーバーに立ち寄ったところを訪ねた。

(取材 三島直美、写真提供 田中幹也)

 

 

行けるところまでのルート

 

 今年は1月中旬にウィニペグ市入りした。今回は出発前から厳密なルート設定をせずに、『厳冬のマニトバ州を縦断する』という大きな目的だけを掲げてあとは成行きに任せて行けるところまで行ってみるという方法を取った。

 「ウィニペグ市から出発して、ウィニペグ湖を一度横切って去年も立ち寄った先住民の村に立ち寄りました。それからまた対岸に戻って北西の方向に、途中点在する町々に立ち寄りながら走行しました」

 結局走行距離は1100キロにも達した。「まあ、山あり谷ありで(笑)。でも、ひとつは『ここからここまで行くぞ』と決めずに行ったのが逆に良かったみたいで、結局ここまで行けちゃったかなと」と振り返った。ただ今年の旅は、「とにかく凍傷がひどくて4カ所(の町)で通院、入院を繰り返していたという印象ですかね」と笑った。



雪の上は自転車を押して移動。周りは一面の銀世界


 

自転車での挑戦


 「今年は自転車にしようと思った理由は特にないんですよ。ただ以前にも冬のカナダ北部を自転車で横断したことがあったので、状況はわかっていましたけどね」。

 しかし、気候だけは来てみないとわからない。去年の湖上歩行縦断の時も結局厳しい寒さのため、予定距離の半分で中断した。しかし「今年は去年よりも寒いのと風が強いということは地元の人も言っていましたね。自転車に乗っている間(移動中)で、最も寒かったのは−40度で、それに風がありますからね」。体感温度はおそらく−60度くらいになっていた。


体の表面の水分が全て凍る氷点下の世界



 自転車は日本から持参。厳寒特別仕様というものではない。「これは2万円ほどでしたね。ただサスペンション付きは油が付くから使えませんけどね」。タイヤは自転車用のスパイクタイヤを使用。日本を出発する2日前に壮行会で贈られたものだった。

 移動はもちろん基本的に車道。「道路は一応除雪されていました。されていないところは押していくしかないですけどね」。ただ道路が凍っているのではとの質問に、「それに関してはそれほど問題はないですね。というのは自転車に重い荷物を積んでいるので、重心が下がるんですよ。だからペダルは重いですけど、安定はしていましたね」と答えた。

 宿泊は基本的にテントを張った。ただ凍傷で町に滞在することが多かった。


テントを張って食事を取る。町での滞在以外は全てテントで寝泊まりした

 





70日中40日は通院と入院


 「立ち寄った村々で自分で病院に行って診察、治療をしてもらってました。走っているより、治療している日数の方が多かったですね」と笑って話す。1月中旬に始めたマニトバ縦断の旅は全行程70日、そのうち40日は治療のため町に滞在していた。

 凍傷がひどくなった理由のひとつは自転車だったこと。「自転車の方が風を切る分、手足の先がやられた感じですね」

 「最初はウィニペグ湖を横切る時に冷たい風にさらされたために、まずは顔面が凍傷になりました。これが悪化して殴られたみたいに腫れちゃって」。出発してまだ日が浅かったがいきなり最初の先住民村で1週間の足止めとなった。

 さらに、2月中旬から3月にかけて寒さが一段と厳しくなり足が凍傷にかかった。「テントの中で靴の中が凍って靴が脱げない状態になってて、おかしいなと思ったら、冷凍食品みたいに足がカチカチになっていて。こういう状態で初期症状だと温めればよくなることもあるんですけど、僕の場合は、もう靴下が燃えても気づかないくらいまでひどくなってましたね」。徹夜で温めてもダメだったという。「凍傷ってかかるとまず腫れるんですよ。だから翌日には靴が履けなくなってね」。これがマニトバ州北西部にあるポーという人口1万人ほどの小さな町の約100キロ手前。そこで町に向かう車に拾ってもらった。

 診察を受けると実際足の指10本全て凍傷で切断するかどうかのギリギリの状態だったという。「なんとか大丈夫でしたけど」と笑ったが、インタビューの時もまだ何本かの手足の指には包帯が巻きつけられていた。


切断寸前と診断された凍傷の足の状態。帰国後専門医の診察を受けたところ、3本は切断しなくてはならない可能性もあると診断されたということだった



先住民たちとの触れ合い


 重症の凍傷にかかって町に長期滞在を余儀なくされたが、「それはそれで面白かったかなと思いますね。こんなことでもなければ滞在しないような小さな町ですしね」

 この辺りに点在する小さな町には、先住民族と鉱山労働者が生活している。「まあ特に何もすることがないし、気分転換にカフェでひとりでぽつんと食べていたりすると誰かが支払ってくれてたってことが何十回とあったり、よそ者が来ると小さい町なのですぐに噂が広がるらしくて。1カ月もいると結構顔見知りになったりしてみんな好意的に接してくれましたね」

 他にも、「例えば自転車移動中に途中の湖でアイスフィッシングしている先住民の人が小屋に泊めてくれたとか、今回は人とのつながりが濃厚な気がしましたね」といろいろなエピソードを挙げて「この辺に見どころというものは全くないですけど、人がすれていないという魅力があるところですね」と語った。


白銀世界の地平線に沈む夕日。こんな光景が見られるのも楽しみのひとつ




次の挑戦に向けて


 「来年はアイスロードに挑戦しようかなと今は考えています」。アイスロードとは、ノースウエスト準州とマニトバにある凍った川や湖を造成して作る冬季限定の文字通り『氷の道』のことだと説明した。トラックが走っても大丈夫なほどの強度があるという。「そこを行くのも面白いかなって。あと、そういう所は先住民居住区だったりするので、それも楽しみのひとつになると思いますしね」

 さらにカナダ以外では南半球のパタゴニアに興味があるという。「ここは気象条件が厳しくて、1カ月のうち晴れるのは1日であとは吹雪とかという感じらしいんですよ」と寒さはそうでもなく、とにかく気象条件が厳しいところだと語った。「そういうのって、なんというかチャレンジ精神がまたフツフツと湧くって感じですかね」と笑った。

 「チャレンジというのはこの厳しさがあるから成り立つと思うんですよ。滞在した町の新聞記者にも聞かれたんですけど、『夏がきれいなのになんで?』って。夏がいい(季節)というのはわかるんですけど、それプラスチャレンジと考えたらやっぱり一番厳しい時期かなっと。それにチャレンジという壁ができることによって、またその途中にドラマも生まれて来ますからね」と語り、今回はまさしくドラマの連続だったと笑っていた。

 来年に向けて帰国後はとにかく治療に専念。凍傷は一度かかってしまうと、次にかかりやすくなるというので、しっかり治療してまた来年の挑戦に向けて考えたいと語った。

 これまでの旅の様子はエッセイとともにホームページに綴られている。
http://www.geocities.jp/kanyatanaka2005/



アイスフィッシングを楽しむ田中さん。横には先住民族の人の小屋が見える